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映画 『靖国』 とは、なんじゃらほい? [ニュース☆ヾ 何じゃらホイ?]

私は、映画が大好きです。[揺れるハート]

そりゃあもう、(前評判で言われるところの)駄作であっても何であっても… 
「実際に観なきゃ分からない」 というのが基本です。
(観ても分からない作品も… 確かにありますが[ふらふら]

Aさんが、「素晴らしい!」 と、思っても、
Bさんは、どう思うかは分かりません。
でもって、私自身がどう思うかは… もちろん観ないと分からないし、
同じ人間でも、観るタイミング立場によっても、大きく評価は違って来るかも知れません。
だから、映画の解説や感想は、観た直後には言え(書け)ても、
その映画自体を評価することは… 本当に難しいことだと考えています。

送り手(製作者)の意図を、どれだけ受け手(観客)が感じ取れるか。
どれほどの表現力(演出、脚本、撮影、編集、音楽…)で訴え掛けてくれ、
それが、どのようにの心に響くのか。心に沁みるのか。発見があるのか…
その醍醐味こそが、「映画を作る楽しみ」 であり、「映画を観る楽しみ」 であると、私は考えています。

最近、今年の3月末辺りから、
映画 『靖国』 についての報道を、新聞やテレビで(もちろん、ネットでも!)目にします。
私が最初に目にしたのは、テレビでした。
何かのニュース番組で、映画の場面が写り、その映像がセンセーショナルであったことを記憶しています。
(軍服ハチマキの男性の映像です)
次に目にした(記憶している)のは、購読している読売新聞の朝刊でした。
なんだか、政治家が映画の上映を反対しているような記事でした。
その記事を何度読んでも(何が問題なのかが)理解出来ず、
何だか、「腑に落ちない」 という気持ちになりました。
「何らかの意図が有って何かが隠されている」 そんな印象を持ちました。
私の中で、ひっかっかた言葉とは、稲田朋美・衆議院議員のコメントでした。

「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。
いかなる内容の映画であれ、それを政治家が批判し、上映をやめさせるようなことが許されてはならない。
私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない」

ですが、新聞の記事やニュースでは、その、「助成」 について、全く触れていないのです。
ニュースや記事から受け取れるメッセージは、
「政治家が映画の上映に難癖を付けている。芸術や自由の冒涜ではないか?」
なのです。??? でした。[たらーっ(汗)]

だから、何度新聞記事を読んでも理解出来なかったのです。
問題にしていることを、新聞記事では書かれていないからです。
映画や自由への冒涜という、心の問題や気持ちの問題。思想や精神の問題に言及しているからです。
私は、書かれていないなら、疑問に思うならば、
「自分で調べてみるしかないやん」 と思いました。(大阪生まれです)

で、調べてビックリ。口アングリ。[がく~(落胆した顔)]
「違うやん!」 と、思いました。[ちっ(怒った顔)]
書かれていないことにこそ、大切なこと、本来ならば報道されねばならないことが有った。ということです。
ご参考までに、私のブログの資料カテに調べたことの一部は載せています。
⇒「映画「靖国」上映中止と参院内閣委での有村議員の質問」 
http://muumintani-irasyai.blog.so-net.ne.jp/2008-04-01-3

でもね、よく考えると(よく考えなくても自明なのですが)報道がどのようにされるのか…
それは、報道したい側が、報道したいことを報道したいように報道するんです。
(放送法や倫理、道徳はひとまずおいといて… 置いていいのかしらん?)
だから、
「報道されることを鵜呑みにしてしまうこと」 や、
「報道されないことは、無いように思ってしまうこと」 
我々、一般ピープルは、そこのトコロをよくわきまえてなきゃいけないんです。[わーい(嬉しい顔)]

映画だってそうです。
どんな映画だって、映画を製作する側の意図が有って製作している。
受け手がどう考えるかは、受け手の問題です。
描かれていないこと。どう捉えるか、観た後、どうするのか… それは、「自由」 なんです。
すっごく、すっごく、マトモなコト。です。

最初に戻ります。
(稲田議員が訴えたかった)問題は、映画の内容、製作以前の話であるということなんです。
誤魔化(惑わ)されてはいけません。
気持ちや精神、戦前戦中戦後の思想の問題ではない。ということです。
(この報道の仕方は、言葉が悪いですが、罰せられることは有りませんが、詐欺に近いかも。なのです)

本当に税金は高いです。
何を買っても消費税。収入を得たら源泉徴収や住民税や所得税。自動車税に固定資産税…
なんたらかんたら… いっぱい納めます。
納めるのはイヤだけど仕方ない。自分の豊かな今の生活と将来のために必要なお金なら… 負担しなきゃなりません。
納税の義務は、勤労と教育と共に、「国民の義務」 だからです。仕方ないです。義務だから。
だからこそ、その使い方については、モノ申す権利が国民に有るのです。

たかだか(?)750万円です。されど、750万円なんです。
だから、750万円なんですよね。(目に見えているのは氷山の一角なのですから!)

「日本芸術文化振興基金助成金」 という予算が有って、
募集が有って、応募が有って、選考が有って、決定が有って、試写が有って、支給が有ったということ。
問題は、提出された 「助成金交付要望書」 を元に審査され、支給されたお金が妥当(ここが問題!)かどうか。ということなんです。
それは、募集要項の中の「助成の対象となる活動」 において、

「商業的、宗教的、政治的な宣伝意図を有しないこと」 
「日本映画を製作した実績を有する団体」

が条件として有ったこと。
最初の助成の申請時に申請した映画の内容、製作者が大幅に変わって、
別の方(中国人が)製作する別の(政治的な意図のある)映画になったことが問題なんです。

私が、分かるのは、ネットで検索して簡単に得られる情報のみです。
そんな簡単に得られる情報からですら、この映画には、なんらかの政治的な意図が透けて見えると…
それで、口アングリとなったということです。

私は、映画が大好きです。
どんな映画にも意図的な要素、思想的な要素は含まれます。
ですが、その成り立ちが税金を元にする助成でなりたった、日本国が助成したというお墨付きを貰ったという映画が、
助成申請当初とは違った映画内容で、
肖像権や人権や事実関係を無視した映画ならば、
助成を受けるに適した映画であったのか。
さらに言う(書く)なら、選考委員さん(ボランティアでは無い有給の!)が適任であったのか、
助成を決めて最終的に試写をして支給を適正と判断した委員さんが不正をしなかったのか。
それこそ不正や政治的な意図が有ったなら… 大変遺憾であると… いうことです。
「芸術文化振興基金助成金 募集案内」 の規約にのっとり、
返還も必要でしょうし、罰則も適用されるのではないか… ということです。


また、その選考の基準が適正なものであったのか。
そのことは、映画製作の自由の問題とは別。ということです。
私は、映画を愛するがゆえに、(しつこく) 映画 『靖国』 を取り上げました。

映画 『靖国』 とは、なんじゃらほい?


お分かりいただけましたでしょうか?
お粗末さまでした。[ぴかぴか(新しい)]


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