『砂時計』 芦原妃名子 [漫画]
見ていないのですが、ドラマ化されて、テレビで放映されていたそうです。
もうすぐ、4月26日に、映画としても公開されるそうです。
映画の詳細は、HPをごらん下さいませ。(あらすじもどうぞ)
公式HP、アドレス
http://www.sunadokei-movie.jp/index_pc.html
漫画をお借りして読んだので、記事を残しておこうと思います。
砂時計とは、上のカップ(?)から、下のカップに、さらさらと流れ落ちていくことで時間を測るモノです。
島根県にある 「仁摩サンドミュージアム」 には、1年もの時を測る 「一年計砂時計」 があるそうです。
仁摩町には、全国有数の鳴り砂の浜 「琴ヶ浜」 もあります。(行ったことないです!)
『砂時計』 では、この、 「仁摩サンドミュージアム」 と、「琴ヶ浜」 が、重要なシーンとして出て来ます。
仁摩サンドミュージアムHP
http://www.sandmuseum.jp/
東京で生活をしていた母娘が逃げるように島根に戻って来ます。
母の生家に帰る途中に訪れたのが、仁摩サンドミュージアムでした。
砂時計を見上げた母は、東京での生活をトキの速さに振り回された年月と感じています。
(相当に疲れています)
さらには、これから過ごす島根での生活を果てしない責め苦のように感じているのでした。
生まれ育った土地を嫌い、連れ出してくれる人を待っていた母。
娘の父と結婚をし、東京で暮らしていたのに、借金が元で離婚。
母娘が生きるために、已むなく、嫌っていた島根に戻る決意をしたのです。
仁摩サンドミュージアムで、お土産として買ったのが小さな砂時計でした。
この砂時計が、時を刻むように、娘の年月も進んで(流れて)いきます。
砂時計の、上側を 「未来」。下側を 「過去」。
未来と過去の中間地点。狭くなっている部分を 「現在」 と見立てています。
「自分を救うのは自分だけ」 です。
それでは、自分が救えなかったら… どうすれば良いのでしょうか。
誰かに救ってもらうのでしょうか?
それがこの漫画のテーマです。
よく、「時間が解決してくれる」 ということを聞きます。
私も、その通りだと思います。
しかし、先が見えないということが、人を悩ませ苦しませる場合があります。
ただ、「待つ」 という行為を、責め苦のように感じる場合があるのです。
「果報は寝て待て」 といいますが、
「ただ、待つ」 という行為には、心の余裕が不可欠なのだと思います。
辛い 「待つ」 時間から逃げ出す(自由になる)方法は、「死」 しかありません。
さらには、時間でも解決しえないような問題に出会うとき、
人は絶望し、死を選びたくなるのかも知れません。
「魔がさす」 という言葉があります。
そんな追い詰められた心には、「魔」 が忍び寄って来ます。
その「魔」 によって、戻れなくなり、帰らぬ人となってしまう場合も有るのです。
そんなふうに、帰らぬ人となった人を誰が責めることが出来ましょうか。
たとえば、帰らぬ人とならぬように、そのために、誰が何が出来るというのでしょうか。
母の自殺という重い重荷を負った娘、杏。
出生の秘密を疑い重い十字架を背負う兄妹、藤と椎香。
杏を愛し守ろうとする大吾。
この4人をめぐる四角関係が物語の要です。
「自分を救うのは自分だけ」 です。
ですが、自分を幸せにするには、他人が必要なのです。
母が自分を置いていったのは、娘や親への愛情だったのだと。
長く辛い時間をかけて、そのことに気付いたとき、
杏は、母の死という重荷を降ろすことが出来たのでした。
強い人とは、強くなろうと思う人なのだと、杏は、気付くのでした。
そして、愛する人を幸せにしたいと、それが出来るのは(愛する人が愛している)自分自身だけなのだと…
強く(!)思うことが出来たのでした。
私には、自殺を選んでしまった中学時代からの友人がいました。
最初、(彼女の夫からの電話で)彼女の死を知ったとき、
何も知らなかった(知ろうとしなかった!)自分を情けなく思いました。
しかし、彼女の死に至る経過を彼女の夫から伺ったとき、
私は、彼女の(私への)思いやりを感じたのです。
彼女の心の問題は彼女のものです。
夫でさえ、親でさえ、医者ですら救うことが出来なかったのです。
一体、私に何が出来たでしょうか。
彼女が私を巻き込まなかったこと。
それは、私のことを大切に思ってくれた友人の精一杯の思いやりだったのだと思っています。
(彼女の夫は、隔離状態だったため電話も出来ない状態だったのだとおっしゃて下さいましたが)
最後の別れのとき。
安らかに眠る彼女の顔は、本当に綺麗で、
「苦しい時間を終わりにしたのだね。辛かったのね。楽になった?」
と、彼女に、(心の中で)話しかけました。
私は、母も早くに病気で亡くしています。
辛く長い闘病生活の果ての死でした。
病気に蝕まれて亡くなることと、
心の病に蝕まれて亡くなることに差が有るとは、私には思えないのです。
現実に触れ合えないことは、とても残念なことなのですが、
いつも私の心の中に居るということ。
それは、先に書いた映画 (『あの空を覚えている』のことです) でも記事にしていますが、
思い出を抱しめて生きるというのは、(亡くなった者とも)一緒に生き続けることだと…
私は、考えています。
もうすぐ、4月26日に、映画としても公開されるそうです。
映画の詳細は、HPをごらん下さいませ。(あらすじもどうぞ)
公式HP、アドレス
http://www.sunadokei-movie.jp/index_pc.html
漫画をお借りして読んだので、記事を残しておこうと思います。
砂時計とは、上のカップ(?)から、下のカップに、さらさらと流れ落ちていくことで時間を測るモノです。
島根県にある 「仁摩サンドミュージアム」 には、1年もの時を測る 「一年計砂時計」 があるそうです。
仁摩町には、全国有数の鳴り砂の浜 「琴ヶ浜」 もあります。(行ったことないです!)
『砂時計』 では、この、 「仁摩サンドミュージアム」 と、「琴ヶ浜」 が、重要なシーンとして出て来ます。
仁摩サンドミュージアムHP
http://www.sandmuseum.jp/
東京で生活をしていた母娘が逃げるように島根に戻って来ます。
母の生家に帰る途中に訪れたのが、仁摩サンドミュージアムでした。
砂時計を見上げた母は、東京での生活をトキの速さに振り回された年月と感じています。
(相当に疲れています)
さらには、これから過ごす島根での生活を果てしない責め苦のように感じているのでした。
生まれ育った土地を嫌い、連れ出してくれる人を待っていた母。
娘の父と結婚をし、東京で暮らしていたのに、借金が元で離婚。
母娘が生きるために、已むなく、嫌っていた島根に戻る決意をしたのです。
仁摩サンドミュージアムで、お土産として買ったのが小さな砂時計でした。
この砂時計が、時を刻むように、娘の年月も進んで(流れて)いきます。
砂時計の、上側を 「未来」。下側を 「過去」。
未来と過去の中間地点。狭くなっている部分を 「現在」 と見立てています。
「自分を救うのは自分だけ」 です。
それでは、自分が救えなかったら… どうすれば良いのでしょうか。
誰かに救ってもらうのでしょうか?
それがこの漫画のテーマです。
よく、「時間が解決してくれる」 ということを聞きます。
私も、その通りだと思います。
しかし、先が見えないということが、人を悩ませ苦しませる場合があります。
ただ、「待つ」 という行為を、責め苦のように感じる場合があるのです。
「果報は寝て待て」 といいますが、
「ただ、待つ」 という行為には、心の余裕が不可欠なのだと思います。
辛い 「待つ」 時間から逃げ出す(自由になる)方法は、「死」 しかありません。
さらには、時間でも解決しえないような問題に出会うとき、
人は絶望し、死を選びたくなるのかも知れません。
「魔がさす」 という言葉があります。
そんな追い詰められた心には、「魔」 が忍び寄って来ます。
その「魔」 によって、戻れなくなり、帰らぬ人となってしまう場合も有るのです。
そんなふうに、帰らぬ人となった人を誰が責めることが出来ましょうか。
たとえば、帰らぬ人とならぬように、そのために、誰が何が出来るというのでしょうか。
母の自殺という重い重荷を負った娘、杏。
出生の秘密を疑い重い十字架を背負う兄妹、藤と椎香。
杏を愛し守ろうとする大吾。
この4人をめぐる四角関係が物語の要です。
「自分を救うのは自分だけ」 です。
ですが、自分を幸せにするには、他人が必要なのです。
母が自分を置いていったのは、娘や親への愛情だったのだと。
長く辛い時間をかけて、そのことに気付いたとき、
杏は、母の死という重荷を降ろすことが出来たのでした。
強い人とは、強くなろうと思う人なのだと、杏は、気付くのでした。
そして、愛する人を幸せにしたいと、それが出来るのは(愛する人が愛している)自分自身だけなのだと…
強く(!)思うことが出来たのでした。
私には、自殺を選んでしまった中学時代からの友人がいました。
最初、(彼女の夫からの電話で)彼女の死を知ったとき、
何も知らなかった(知ろうとしなかった!)自分を情けなく思いました。
しかし、彼女の死に至る経過を彼女の夫から伺ったとき、
私は、彼女の(私への)思いやりを感じたのです。
彼女の心の問題は彼女のものです。
夫でさえ、親でさえ、医者ですら救うことが出来なかったのです。
一体、私に何が出来たでしょうか。
彼女が私を巻き込まなかったこと。
それは、私のことを大切に思ってくれた友人の精一杯の思いやりだったのだと思っています。
(彼女の夫は、隔離状態だったため電話も出来ない状態だったのだとおっしゃて下さいましたが)
最後の別れのとき。
安らかに眠る彼女の顔は、本当に綺麗で、
「苦しい時間を終わりにしたのだね。辛かったのね。楽になった?」
と、彼女に、(心の中で)話しかけました。
私は、母も早くに病気で亡くしています。
辛く長い闘病生活の果ての死でした。
病気に蝕まれて亡くなることと、
心の病に蝕まれて亡くなることに差が有るとは、私には思えないのです。
現実に触れ合えないことは、とても残念なことなのですが、
いつも私の心の中に居るということ。
それは、先に書いた映画 (『あの空を覚えている』のことです) でも記事にしていますが、
思い出を抱しめて生きるというのは、(亡くなった者とも)一緒に生き続けることだと…
私は、考えています。
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