SSブログ

『武士道』 序文と目次 [読書]

まずは、足跡を。エピソードや経歴などを記述しておきます。
(ウィキペディアより抜粋)

1862年 岩手県盛岡市で三男として誕生。
1862年 札幌農学校(現・北海道大学)に入学。(クラーク博士で有名)
      キリスト教に入信。洗礼を受ける。
1884年 ジョンズ・ホプキンズ大学入学。メリー・エルキントンと出会う。
1891年 メリー・エルキントンと結婚。
1899年 体調を崩し療養のためカルフォルニア州で転地療養。(英文にて『武士道』出筆)
1900年 『武士道』 初版刊行。ベストセラーに。
1919年 国際連盟事務次長に就任。

日本が国際連盟を脱退し軍国主義思想が高まる中、
「我が国を滅ぼすものは共産党と軍閥である」との発言が新聞紙上に取り上げられ、
軍部や右翼の激しい反発を買い、多くの友人や弟子たちも去る。
一方、反日感情を緩和するためアメリカに渡り、日本の立場を訴えるが、
「新渡戸は軍部の代弁に来たのか」とアメリカの友人からも理解されず、失意の日々だった。  
 
1933年 太平洋調査会会議に日本代表団団長として出席。会議終了後に倒れ永眠。

※「橋は決して一人では架けられない。何世代にも受け継がれてはじめて架けられる」
※「折らば折れ 折れし梅の枝 折れてこそ 花の色香を いとど添ふらん」
※「盗塁をはじめ、他者をだますことで勝利を得ようとする卑劣な競技である」として、野球を嫌悪した。


1899年12月。初版刊行に際し、序文を書いておられます。
「宗教教育」 というものが無い日本で、「どのように道徳教育を授けるのか」
そのことを、妻や友人(外国人)に説明することの難しさから、
『武士道』 を書くことになったという経緯が書かれています。
奥様と氏。2人ともが体調を崩されての療養中ということで、
時間を得たので書けるというようなことが書かれていました。

<目次>

第1章 武士道とは何か
第2章 武士道の源をさぐる
第3章 「義」―武士道の光り輝く最高の支柱
第4章 「勇」―いかにして肚を錬磨するか
第5章 「仁」―人の上に立つ条件とは何か
第6章 「礼」―人とともに喜び、人とともに泣けるか
第7章 「誠」―なぜ「武士道に二言はない」のか?
第8章 「名誉」―苦痛と試練に耐えるために
第9章 「忠義」―人は何のために死ねるか
第10章 武士は何を学び、どう己を磨いたか
第11章 人に勝ち、己に克つために
第12章 「切腹」―生きる勇気、死ぬ勇気
第13章 「刀」―なぜ武士の魂なのか
第14章 武士道が求めた女性の理想像
第15章 「大和魂」―いかにして日本人の心となったか
第16章 武士道は甦るか
第17章 武士道の遺産から何を学ぶか




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。