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『武士道』 要約:武士道とは。義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義 [読書]

大変失礼ながら、
英文を訳されているので仕方ないこととも思うのですが…
言い回しがとても難しいです。
おそらく、日本人でない外国人に説明するための本だからだと思いますが。
(後世の日本人が読んでいることを知ったら、氏はどう思うでしょうね)

最初の出だし(第一章)から、この本を読むと、何がいいたいのか…
引用文で話が飛ぶので、とても難解だと思いました。
章立てなので、タイトルで、書かれていることは分かるのですが… 難解だと思います。
(日本人であるがゆえなのかも知れません)

引用と主旨を吟味して、何を言いたいのかを導き出す。
なんで、そんな作業を読者が強いられることになるのか…
おそらく、英文(外国人に説明するための記述)であるためかとも思うのですが…
日本人向けに、日本文で書かなかったことが悔やまれます。[もうやだ~(悲しい顔)]
第一、二章 「武士道」
武士は、その待遇や高貴な地位を贖うために、戦闘をすると書かれています。
その戦闘こそが主たる仕事であるがために、戦闘時にフェアプレイであることや、
(「我こそは~」 という口上や、一騎討ちとかでしょうか)
不始末をしたときの処しかた(責任の取り方)に対する、「日常生活における規範」 が武士道だと述べています。
「戦士たる高貴な人の日常生活における規範を意味するのが、武士道」 であり、
壮大な倫理体系をうちたてるための要の石が、「武士道」
であると、書かれています。

仏教と神道それぞれが日本人にもたらしたモノを述べておられます。
列記すると、仏教からは、

1.運命に対する安らかな信頼の感覚。
2.不可避なものに対する静かな服従。
3.危険や災難に対する禁欲的な平静さ。
4.生への侮蔑。
5.死への親近感

神道からは、

1.主君に対する忠誠。
2.先祖に対する崇拝。
3.孝心。

そして、自然や祖先を崇拝する心が、「愛国心と忠誠心」 をもたらすのだと書かれています。
こんな風に記述していくと… 書く方も読む方もイヤになりますね。
要するに、
神道と仏教が互いを補完して武士道の土台となった。ということです。
そして、「道徳的内省」 が武士道だとも説いています。
ここで気になった言葉は、
「神道は原罪感とは相容れない」 と言う言葉です。
キリスト教の洗礼を受けた氏が記述していることであること。心に留めたいと思います。

第三章。「義」 ~武士道の光り輝く最高の支柱~
赤穂浪士、四十七士の忠臣(義士)を賛美しています。
義理=義務 であります。
ですが、キリスト教徒らしく、キリスト教の愛はそれらを超えたものだと。
述べることも忘れていません。[たらーっ(汗)]
そして、武士道あるがゆえに、義理は臆病とはならないと説いています。

第四章。「勇」 ~いかにして肝を練磨するか~
「死に値しないことのために死ぬことは犬死」 と、はっきり書いています。
したがって、向こう見ずな死を賛美することを戒めています。
器の大きさは揺るがない平常心をであり、それは余裕を生むということ。
それが 「勇」 であるのだと記述しています。
そういった、「勇」 が高みに達するさいに、「仁」 に近付くと説き、次章に続けます。

第五章。「仁」 ~人の上に立つ条件~
憐れみの徳が最上の 「仁」 である。
専制政治と世襲政治の違いは、「不本意な服従」 と 「魂の服従」 の違いだと説いています。
(武士道が世襲であることの肯定です)
粗野な武士の心を和らげるために必要なのは音楽や書であり、
それらを嗜むlことで憐れみの心(仁)を育てる。
他者の感情を尊重することが、謙虚さや慇懃さを生み、「礼」 の根源となる。
と、次章に続きます。

第六章。「礼」 ~人とともに喜び泣く~
モノゴトの道理を当然のこととして尊重すること。
「礼」 の厳しい遵守に伴う道徳的な訓練の話です。
贈り物をする際に伝えるモノの(重きをおくものの)違いについて。
アメリカ人は贈り物としての品物(の良さ)について話し、
日本人は、(とるに足りない)贈り物をする気持ちを(受け取って欲しいと)話します。
それは、誤解されるかもしれませんが、裏腹の習性では違うことなのです。
「真実を語ることと礼儀正しいこと。どちらが大切か」

第七章。「誠」 ~なぜ「武士に二言はない」のか~
「意識的に動かすことなく相手を変化させ、
意識的に働きかけることなく、自ら目的を達する」
「言」 と 「成」 から出来ていることばが、「誠」 です。
モンテスキューの言葉。
「貴族を商業から締め出すことは、権力者に富を集中させないための褒められるべき政策である」
お侍商売というのは、「売ってやっている」 というタカピーな商売の仕方をいいます。
サムライはソロバン勘定を徹底して忌み嫌ったそうです。それは智恵だそうです。
ソロバン勘定で、意識的に働きかけることを避けたかったのです。
さて、商業に対する武士道の果たした役割について。ですが、
武士道の道徳を事業の運営に適用しようとしても失敗します。
富の道が名誉の道ではないこと。
それは、洞察力のある人の目からは明らかだったようです。
「誠」 が働く3つの要因は、産業、政治、哲学 です。(レッキー)
そして、武士道の見地から商業を見ると、
「正直は最善の策」 となり、
「誠は、その成長を主として商業と工業に負っている」 とし、
「誠は、近代産業の養子。実益のある徳行」 であるから、
「正直の観念は名誉と分かちがたく混合している」 となります。
ちなみに、「正直」 のラテン語は、「名誉」 だそうです。

吉兆さん。
よお~く、この言葉を噛み締めて欲しいです。[パンチ]

第八章。「名誉」 ~苦痛に耐えるために~
武士階級の義務と特権を重んずるように、サムライの特色をなすものは、
「羞恥心」 という感性を大切にする心であり、
それは、道徳意識の出発点となります。
キリスト教、旧約聖書に記載されているところの、
禁断の木の実を食べて知ったこと。
それは、「羞恥心」 の目覚めという苦しみでした。
「名誉」 は、強い家族意識と結びついています。
「寛容」、「忍耐」、「寛大」 という 「崇高な高み」 に到達することは、とても困難です。
さらには、「名誉」 は、
「境遇から生じるものではなく、自分の役割を真っ当に務めることにある」 とします。
生まれや育ちが名誉なのではなく、
自分の役割を真っ当にともめること。それこそが、「名誉」 であると説いているのです。
ですから、将来を託す、
若者が追求しなければならない目標は、富や知識でなく、「名誉」 である。
命よりも大切とする名誉があるならば、命はたやすく捨てることの出来るものだった。

青年実業家だとか、学生でありながら、事業を起こし財をなすこと。
最近の流行りのようですが、女性もマスコミも騒ぎ立てたりしまうが、
そういうことは、「名誉」 ではなく、とても愚かなことだと… 私も考えています。
高層マンションに住み、豪遊することは、「名誉」 であるはずがないからです。

第九章。「忠義」 ~人は何のために死ねるのか~
徳を結びつける要になるもの。
日本人が考えか方を進めた忠義は、外国では捉えられないものかもしれません。
「忠義」 とは、家族以上に重んじているものだからです。
命令に対する絶対的な従順。その例があげられています。

<菅原道真に関わる物語>
道真を京から追放するだけでなく、一族を根絶やしにするために、幼子の首を取って来るようにと、かつての道真の従者に命じる。
身代わりを考えるが、身代わりになるような者が見付からない。
そのとき、上品な母親に付き添われて幼子が現われる。
それで、その幼子の首をはねて、検視役の松王丸に差し出す。
松王丸は、その首をマジマジと見て、確かに道真の子と述べる。
その夜、身代わりとなった幼子の母親は、夫の帰りを待っていた。
夫は、松王丸であり、自分の幼子をかつての主君である道真公のためにと捧げたのだった。
「一人の主に固執することなく、他の主を軽んずることなく、二主に仕えることが出来る」

武士道においては、一族の利害とその個々の成員の利害は一体不可分。 義理と人情の板ばさみにあった場合、「忠義」 を選ぶのが武士道。
忠義のためならば、自分の息子をあきらめる用意が出来ていた。
「さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」 という長い日の観念が日本人の心には存在しているからです。

けっして、近視眼的に、「今」 を見て判断するのではない。ということです。
ですから、「今の生活が大事」 なんて… 口が裂けても言いません。
それは、もっとも恥ずべき言葉だからです。

武士道は、私たちの良心を主君や国王の奴隷として売り渡せとは命じなかった。
おのれの命を主君の気まぐれや酔狂の犠牲にすることにつては、武士道としての評価は厳しい。
「佞臣」 とは、無節操なへつらいで主君の機嫌をとる者。
「寵臣」 とは、奴隷のごとき追従の手段を弄して主君の意を迎えようとする者。
ですから、「佞臣」 や「寵臣」 は、「武士道」 から外れていると、軽蔑されたのです。

主君と意見が分かれるとき、家臣のとる忠節の道は、主君の非を進言すること。 もし、容れられないときは、自己の血で最後の訴えをすることが普通であった。 サムライのすべての教育や訓練はこのことに基いておこなわれた。

「武士道」 とは、「死」 である。そういう風に、よく言われます。
「死に方」 に、「生き様」 が問われたということなのです。
主君のために命を賭すこと。
その結果が死であっても、けっして、それは、「犬死」 ではないのです。
武士の命は、賭すものであって、自分の私利私欲のモノでは無いということです。
「死」 を覚悟してでも、言うべきときには進言する。
そのことの、「勇」、「誠」、「義」、「徳」、「仁」、「礼」…
こそが、「武士道」 なのだと… 素晴らしい潔さであると、私は思います。

映画 『ラストサムライ』 の世界です。[もうやだ~(悲しい顔)]
この映画の良さを、日本人にこそ分かってもらいたかったです。
以外と低い映画の評価に対して、非常に残念に思っています。
瑣末な背景や風景に目を奪われて批判に終始して欲しくないものです… [ふらふら]





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