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『ダライ・ラマに恋して』 [読書]

たかのてるこ氏の本です。
会社の同僚にお借りして読みました。

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表紙の写真の笑顔。なんて素敵な笑顔でしょう。[かわいい]
テレビゲームが無くっても、回転寿司が無くっても… この笑顔。
笑顔に必要なのは、モノでは無いのかもしれません。
当たり前?
そうですよね。当たり前のことなのでした。[あせあせ(飛び散る汗)]

たかのてるこ氏は、失恋して落ち込んでいるとき、ダライラマの笑顔に魅せられて(恋をして!?)
はるばるダライ・ラマに会いに行くことを決意します。
まず、最初の旅は、ダライ・ラマの故郷であるチベット。
それでは、チベットのこと、ダライ・ラマのこと。ウィキペディアより転記しておきましょう。

チベット:
古代から独立国家であったが、清による支配を受け、清の滅亡後、再び独立国家となるが1950年に中国人民解放軍による侵略を受け、チベットは軍事制圧された。その際中国人民解放軍は、夥しい規模の破壊とともに、チベット族の大量虐殺を行った。その後チベット自治区が設置された。
1955年 - 1959年に「中華人民共和国政府による併合」に抗議するチベット動乱が勃発し、武力弾圧の結果、十数万人のチベット難民が発生した。チベット亡命政府のもと、異議申し立てが行われている。

ダライ・ラマ:
現在のダライ・ラマはダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォであり、チベット動乱の際にラサからインドに政治亡命し、以降はインド北部のダラムサラに居住して、そこでチベット亡命政府を率いている。


それでは、たかの氏が辿った足跡に沿って、あらすじを書きます。

○チベットへ
チベットの都、ラサのホテルに泊まりチベットの風俗や大自然を堪能するたかの氏。
チベットの旅は、全ての日程があらかじめ決まっている自由の無い旅でした。
チベットは、
「ダライ・ラマという言葉を発することが許されない場所」 であり、
「チベット人との間での個人的な会話が禁止されている場所」 なのでした。

「チベットにないもの、それは、私がこの世で一番会いたいと思っている、ダライ・ラマの存在」 
たかの氏の言葉が哀しいです。
中国人とチベット人の給料格差は10倍。そして中国人による犯罪の横行。
忍んで会ったチベット人から知った亡命の話、チベットの現実。[がく~(落胆した顔)]
たかの氏は、「政治的な話」 を、「しない」 のと、「出来ない」 の差を思い知らされます。

○ラダックへ
NHKで放送された、「チベット死者の書」 の話が出て来ます。
ロケ地がチベットではなく、北インドのラダックでだと知り、ラダックへと旅立ちます。
空港で働く女性チョズンと知り合い、彼女の紹介で宿を決めたたかの氏。
ラダック語の挨拶は何でも、「ジェレー」 なので簡単とのこと。 (「こんにちは」、「さようなら」、「ありがとう」… )
シャーマンに会いに行ったり、マト寺での仮面舞踊のお祭りに行ったり、
お坊さんやチベット伝統医学のお医者さんと知りあったりするのですが、
行く先々で、色んな人と芋づる式に関わって話を聞いたり体験したりします。
それは、たかの氏の心に壁が無いことはもちろんなのですが、ラダックの人の心にも壁が無いからだと思います。
基本が自給自足という生活は、エコでウンコでループなのでした。[わーい(嬉しい顔)]

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野菜だけで作られた、全て手作りの餃子、「モモ」 の素晴らしいこと。(私も食べたいです!)
どこでも誰でもが食を共にし、移動も寝床も提供してくれる善い人ばかりの土地なのでした。
チベットから亡命して来た人々(難民)と知り合い、家に行くたかの氏。
難民であることの切なさを知ります。

「フリーチベット」 のデモを見物しながら、
チベット人の家庭が一夫多妻であり、再婚も頻繁なことから、
「フリーチベット」 であると、面白いこと(駄洒落かい!?)も発見もします。[わーい(嬉しい顔)]

デモで知り合った教師、カルマから、「前世を覚えている少女」 の話を聞き、会うことの出来たたかの氏。
さらには、少女や両親の話も聞くことも出来ます。
前世での記憶の正確さ。記憶があるということは、どういうことなのか。
たかの氏は、前世やカルマ(因果)のことを深く考え、
人生は、「こんにちは」 で始まり、「ありがとう」 と感謝して、「さよなら」 で別れるのだと考えるに至ります。
(ジュレーで始まり、ジュレーを繰り返し、ジュレーで終わる)

○デリーからダラムサラへ
穏やかだった田舎であるラダックからデリーに着いたかかの氏。
都会のデリーの喧騒。インド人の存在感に圧倒されてクラクラしてしまうたかの氏。
思わず、ラダックの人々の奥ゆかしくて慎ましい雰囲気が恋しくなります。
喧騒の中、欲にまみれて、自分を見失ってしまいそうな気になります。[たらーっ(汗)]
ところが、夜行列車に乗り込んだたかの氏。
人と人の垣根の低いインド人とたちまちに親しくなり、
乗り合わせた寝台車の家族と仲良く手作りのカレーを食べるのでした。[揺れるハート]

○ダライ・ラマとの謁見。
待つこと10日あまり。やっと会見の許可がおります。
そして、10分の予定が20分も謁見、写真も撮ったたかの氏なのでした。
極度の緊張から解き放たれ、安堵を覚えたたかの氏。
濃厚で喜びに満ちた20分は、これからどれほど辛いことが有っても、
人生の苦難を乗り越えるときの、「とっておきのおもじない映像」 になると思うのでした。
「人が人を思いやるという人間本来の優しい気持ちを思い出させてもらった」 と感動します。
たかの氏にとって、「いい人になりたい!」 と、思わせてくれる素晴らしい旅だったようです。[揺れるハート]

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私が、「チベット死者の書」 というNHKの番組を見たのは、1993年9月23、24日のことだったようです。

(ネットで検索調べ)
第一夜)仏典に秘めた輪廻転生(9.23)
第二夜)ドキュメンタリードラマ「死と再生の49日」(9.24)
*仏典「チベット死者の書」の生と死の哲学「輪廻転生」をTV番組化したもので、ドキュメンタリー編とドラマ編の2回連続シリーズ。宗教学者・中沢新一さんが「チベット死者の書」の内容をシナリオ化して、現地の老僧と少年僧を使い、大自然の中で、人間の生命を見詰め「死」を思索するドキュメンタリー・ドラマ

とても印象に残っています。
その、「チベット死者の書」 のことを、たかの氏の文中で見つけて、
それが、チベットでなく、ラダックでロケされたのだと知ったことは驚きでした。
既に、チベットは、自由にロケが出来るような土地では無かったということですね。
チベット動乱の虐殺については、ブラッド・ピットの映画 『セブン・イヤーズ・イン・チベット』 (1997年)で初めて知ったのですが、
「なんだか凄いことになってるなぁ」 くらいの印象しか持ちませんでした。
自分のことに引きつけて考える。という意識には乏しかったです。
(今も乏しいのですが…[ふらふら] )

傷心のたかの氏がダライ・ラマの笑顔に魅せられて、一心不乱に突き進む様には圧倒されます。
どこに行っても聞いてやろう、見てやろう気質旺盛なかたの氏。
たかの氏の冒険心と心の壁の無さには敬服です。
私なら… 言葉の通じない場所、食べ物が不安な(回転寿司がない)場所には行きたくないし、
ウオッシュレットどころか、自分のウンチをシャベルで落とすようなトイレにも行きたくないです。

ところで、チベット仏教に通じるような考え方は、漠然となのですが、ずっと持っています。
例えば、毎朝、神棚に向かって手を合わせているのですが、
「昨日も無事に済みました。ありがとうございます。世界が少しでも良い方向に向かいますように」
それだけを祈って、もう、20年以上になります。
誰に教えられたのでもなく、ただ漠然と… 神棚に向かって祈ってます。数秒ですが、毎朝。
世界の幸せを祈れば、自分も幸せになるだろう。みたいな感じです。
そして、それは、この本でも書かれていることと繋がっているようです。
私は、この本を読んで、だから、なんだか嬉しくなりました。

好きなモノとか食べ物。沢山あるのですが…
もちろん、ケーキやお寿司(高いから回ってるので充分!)、ゲーム機器とか大好きなんですが、
モノは捨てられないし、モノをどこにやったか分からなくなるし、モノがあるとそれだけで嬉しいのですが、
無かったら無かったで、努力するだけしたら、諦めも早いです。
だから、人に対する執着も薄いかもしれません。
「そんなこともあるさ」 と、忘れてしまいます。(単に忘れっぽいだけかも)
だから、モノが永遠に有るとか永遠に関係が続くなんて考えていないのです。
親離れ、子離れという意識自体が無いです。

だから、本の中で、カルマによって語られる言葉。
「仏教の教えでは、『執着ほど苦痛をもたらすものはない』 とされているんだ。それは、親が死んだら悲しいよ
 だけど、親が死ぬことを悲しむよりは、いつかその日が来ることが分かっているからこそ日々感謝するんだ」
が、とてもストンと心に落ちるのです。
悲しむのは自分だけれど、感謝するのは、自分以外のものに対してだからです。
自分という存在は、自分以外のものに対してとっても小さい存在だからです。

本の中の言葉で特に印象に残った言葉を抜き出してみます。
1.執着しないということは、無関心になることでは無く、執着しないで大事にすること。
2.全ては永続しないからこそ、そのときどきで大事にするということ。
3.世界中の人は自分と繋がっている。
4.自分をコントロールしようと心掛けることが大事。
5.感謝するだけでなく、いいことが出来たかどうかが大事。
6.自分が日々貰い続けている恩を人に返し続けていくことがライフ・ワーク。

こんな風に考える人が増えていけば、本当に良いと思います。

ダライ・ラマは、
自分だけの幸福が真の幸福にならないことをご存知です。
世界が良くなって初めて自分もよくなるのだと… 自覚されています。
そんな方が、どうして、チベットの暴動を扇動するなどと… 全く考えられないことです。
中国こそ、チベットから手を引くべきだと思えてなりません。
ラダックの人々の暮らしは、チベットの人々の暮らしのはずです。
チベット自治区は、チベットが自ら治めている地区ではなく、中国が治めている地区です。
中国の利益のために侵略し虐殺で口封じをし、搾取をし続け、ダライ・ラマを侮辱し続けることを肯定してはならないと思います。

中国のチベット支配を許すことは、それを支持することは、中国の片棒を担ぐことと同じです。
どんな弱みが有ろうとも、主張すべきことは主張し、対等に渡り合うことが、
日本人として、古来より続く大和の国としての心意気では無かったか…
中国の主張するままに南京虐殺や慰安婦を認め謝罪し続けることは、
日本のために礎となって亡くなった方を侮辱することだと… どうして気付かないのでしょうか。
世界がよくならないと日本は良くなりません。
ですが、中国が言うがままになっても、チベットの状況が良くならないとすれば… それは、間違った対応だからです。
中国もチベットも日本も良くなる状況を模索することこそが大切なのだと思います。
誰かが一方的に我慢を強いられるような状況は、間違った対応と処置の産物だからです。

前世を覚えている少女が出て来ました。
彼女が意味することは、「命は繰り返している」 ということです。
それは、証明は出来ないかもしれませんが、そういう意識を持って対応する気持ちが大切だという摂理に思えてならないのです。
自分の子どもや親の生まれ変わりを苦しめているのかも知れないという意識を持つことです。
そのことを、彼女の前世の記憶が訴えているのだと思いました。

ダライ・ラマの言葉より。
人類や地球がより豊かなものになり、より平和になることが出来たら、私たちはその恩恵を受けることが出来るでしょう。
しかし、世界がさらに問題や苦しみを抱えていけば、私達は幸せになるこtが出来ず、生き残ることも出来ません。
私たち一人一人の幸せのためにも、地域や社会、世界のためにも、責任感を持たねばならないのです。
これは私の信念でもあります。そしてこれが、人間の価値というものです。
幸せな人生を全うするために、大事なものは二つあります。
物質的な発展と、心の発展です。この二つはどちらも必要なのです。



「世界が少しでも良い方向に進みますように」[ぴかぴか(新しい)]






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