SSブログ

「あなたとは違うんです」 図らずも証明したこと。 [日本の将来考]

「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」
という福田氏の会見時の発言から、

「あなたとは違うんです」 

が、今年の流行語大賞に(不名誉にも?)選ばれるかどうかは分かりませんが、
(Tシャツが発売され、売れているそうです!)
記者が、会見を聞いて思った率直な質問(「他人ごとに思える」)に対する言葉なのですが、
記者と首相の立場が違うことは当たり前です。

それにしても、なんとも、福田氏の苦悩が見えない会見でした。
責任を回避するような会見でした。
さらには、辞任の理由は体調が悪いせいではないと断言までされるのですから…
いやはや、なんともはやな会見でした。
いやはや、なんともはやな外交でしたから。
いやはや、自分のことは、自分では分からないということのようです。

ご自身は、外交が得意で、「自分自身を客観的に見ることができる」 と、お考えなのですから…
なんともはや!としか言いようがありません。

さて、福田氏の辞任について、櫻井よしこ氏の 『週刊新潮』(9月11日号) 記事があります。
とても的確で核心をついています。
とても厳しいのですが、首相という立場を考えれば、厳しくて当たり前です。
 「あなたとは違う」 それは、首相という立場だからです。

http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/09/11/%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%a9%95%e4%be%a1%e3%82%92%e8%b2%b6%e3%82%81%e3%81%9f%e7%a6%8f%e7%94%b0%e6%94%bf%e6%a8%a9%e3%80%8d/
「日本の評価を貶めた福田政権」
9月1日夜、唐突に辞任会見を開いた福田康夫首相は、日本の国益上、最も不利な国際状況を作って去った
日本の命運の鍵を握る米中両国がいま、極めて重要な変化を遂げつつあるなかで、その変化の意味合いを理解せず、対応策もとらずに去った


中国共産党は、党の生き残りをかけて、中国社会の変化と党政策のバランスをとろうと必死である。ネット人口2億人以上、携帯電話人口6億人以上のいま、゛中国の民意〟はともすれば中国共産党の指導を超え暴走しかねない。富める者はより富み、貧しい者はより深く貧困の沼に沈む絶対的な格差社会を産んだ歪んだ経済成長は、中国共産党政権に困難な課題を突きつける。

より公平な富の再分配を求める農民ら国民大多数の貧困層と、彼らを別人種の如く蔑視する沿海部の富裕層。大気汚染だけで年間30万人が死亡する環境汚染と国民の不安を宥めるのに必須の経済成長。国際社会の人民元切り上げの要求と安い人民元に支えられる輸出産業。

互いに対立し、両立しにくいこれらの問題が未解決のまま残れば、人々の不満が高じ、党批判となって暴発すると、中国政府は恐れている。

こうした中国の実態を見てとったか、米国は2005年、ゼーリック国務副長官が中国を責任ある利害共有者(ステークホルダー)と位置づけた。<span style="color:#FF0000;">対立構造のなかで中国を追い込み、問題を深刻にするより、中国を民主主義や法治主義の゛われわれの側に〟招じ入れ、徹底的に関与させていく政策である。中国を仲間として遇していくことで、まさに米対中外交の一大転換点だった。この方向は、たとえ、共和党のマケイン候補が新大統領に就任しても、基本的に変わらないと見ておくべきだ。

座標軸の定まらない国

米国の対中政策は対ロシア政策と基本的に異なる。グルジアへの挑発に見られるようなプーチン首相の下での強硬路線に対して、米国防長官のゲーツ氏は「新たな冷戦」という言葉で警戒を表明した。グルジアへの侵攻は、ロシアの自信を示し、その自信を支える要素に米国に優る核戦力があると、米国は分析する。たとえば、米国は冷戦終結後の1991年から短距離弾道核を一方的に廃棄し始め、いまや、米国の保有数はゼロだ。短距離戦術核も500程に減らしたが、ロシアは5,000も保有する。こうしたことから、ゲーツ長官は新たな軍事力の構築が必要だと述べた。米国は、クリントン政権以来の親ロ宥和路線から、対ロシア軍事力強化策へと転じたのだ。

米ロ関係の緊張は、米中関係の緊張緩和や親密さと背中合わせである。対ロ外交の視点からも、米国は必ず対中関与政策を強めていくだろう。

そのとき、日本はどうなるか。市場規模と軍事力において、もはや中国を排除し、軽視することは出来ないと考える米国は、中国と日本のバランスをどう保つのか。歴史の教訓は米中関係の緊密さが日米関係のそれに優ったとき、日本は常に煮え湯を飲まされてきたという事実にある

その種の事態を避けるために、日本は米国との協力関係を緊密に保ち続けなければならない。だが、福田氏が放棄した政権下で、日米関係は惨憺たる状況になっている

氏の首相辞任の理由のひとつが、公明党が新テロ対策特別措置法の延長に反対したことだ。公明党はインド洋で海上自衛隊が行っているアフガニスタンにおけるテロとの戦いへの協力に消極的だ。米英仏パキスタンなどの艦船に水と油を補給する海自の活動を延長するための衆院での再議決に応じないという立場だ。福田首相は日米関係を考慮して、新テロ特措法の成立を望みながらも、公明党の支持を得られないことから、政権を手放した。

日本はすでに昨年11月から約3ヵ月間、インド洋での給油活動を停止した経緯がある。昨年、安倍晋三前首相が行き詰まり、政権を放棄したこの同じ問題について、衆議院で再可決を断行して復活させたのは福田首相だった。だが、今度はその福田首相が両手を上げてしまったのだ。

また、日本政府はイラクで活動中の航空自衛隊を年内に撤収する方針を固めている中東に原油の9割以上を頼る日本がどの国よりもこの地域の安定を必要としているにも拘らず、このまま行けば、イラクでもアフガニスタンでも日本は撤収する

これでは同盟国の米国にもアフガニスタンで協力し合ってきた他の諸国にも、信用されるはずがない。座標軸の定まらない日本の協力に頼っていては、いつ梯子を外されるかわからないと思われても仕方がない。

福田氏よりはまし

国家の決意という視点から見ても、日本国はもはや信頼出来ないと思うのは、普天間基地問題である。SACO(沖縄特別行動委員会)で普天間飛行場移転の最終報告が出たのは1996年だ。政府は、普天間飛行場の日本への返還と他地域への移転をセットで行うとの閣議決定を行った。政府の正式な意思決定からすでに12年だ。にも拘らず、未だに移転の目途さえ立っていない。決定しても実行出来ない国だとなれば、日本政府の決定を、日本国民も含めて一体誰が信ずるだろうか。

このような状況のなかで、日米中の関係が進んでいるのだ。福田首相が日米関係と日本の安全保障を重視するなら、政権放棄の前に、試すべきことがあったはずだ。たとえば、大連立を申し出るほどの気持があれば、小沢氏の拒絶で諦めるのでなく、氏の背後の情勢分析をなぜ行わないのか。新テロ特措法の延長に賛成の議員は民主党にも多い。なぜ彼らに呼びかけなかったのか。

この問題は、党派を越えた日本全体の問題だ。日米同盟を堅固ならしめ、日本の国益を守るために大同団結してほしいと、氏の政治生命をかけて呼びかける手があった。民主党には30名規模の新テロ特措法を支持する人々がいるはずだ。衆院公明党の31議席にほぼ匹敵する数が、民主党から賛成に回る、回ってもらう、もしくは回らせる可能性を、なぜ模索しなかったのかと思う。大連立という大逆転劇を考え、つまずいて、それであっさり終わるのか。それから先を考えないのか。それとも大連立そのものが、氏の発想ではなく、派閥やメディアの長老たちの振りつけにすぎなかったために、断られた先を考えるという発想さえも生まれなかったのか。

米国が日本に失望し、日米関係が緊密さを失うリスクを思えば、捨て身で取り組むべき場面だ。だが、その気配もなく、氏は逆に中国を重視し、米国を重視しない姿勢を見せた

氏にとって何事も他人ごとの印象がある。国益もそうか。すべて他人ごとかと問われて言った。
「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」

次の自民党総裁は、誰になっても福田氏よりはましであろう。

------------------------------------------------------

誰がなってもとは、非常に厳しいです。
ここまで言われると可哀そうな気がしますが、首相だから言われるんですよね。
一国の国益を最優先に考える首相という立場ゆえの批判です。
首相という立場なのですから、仕方ありません。
さらに、11日付けの産経ニュースから
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080911/plc0809110258001-n1.htm

【櫻井よしこ 福田首相に申す】国家観なき「雇われ社長」
 国際情勢は乱気流の真っただ中にある。乱世の指導者は命懸けで闘う責務を負う歴史の潮流の大変化を乗り切る闘いでは、弱気は敗北につながる。侮られる。
弱気と慎重であることの差は、指導者に国益実現の冷静な計算ができているか否かだ。
国益を守るには、極限の重圧の下でも全知全能をしぼり出して、奥歯を噛(か)んで耐え抜く強さが必要だ。

 「人が代わればうまくいくかもしれない」と言って、政権を放棄する最高指導者は、最初から指導者になってはならない。政治家になるのも慎むことだ
自身を客観的に見る能力があると自負する福田康夫氏は、己を客観視し、その不明を愧(はじ)よ

 一切の責任から解放され、のんきに過ごしてよいのだと言わんばかりの辞任後の行動は、氏が、日本国首相の職を雇われ社長の感覚で務めていたのではないかと思わせる

 辞任直後の3日、首相は防衛省で行われた自衛隊高級幹部会同に、代理もたてずに欠席した。同会同は、全国の幹部自衛官が最高指揮官の訓示を聞き、それを各部隊に伝えるための恒例行事だ。国軍の最高指揮官が故なく欠席することは、文民支配の鉄則からもあってはならない。

 昨年11月、首相は同会同に出席しながら、自衛隊の栄誉礼・儀仗(ぎじょう)を辞退した。自衛隊を忌避するかのような姿勢は、最高指揮官としての資質を疑わせる。国家にとって軍と軍事力がどれほど重要な意味を有するのか、理解できていないのだ

 折しも9月9日、北朝鮮建国60周年の記念式典に金正日総書記が欠席、脳梗塞(こうそく)にかかるなど異常事態発生の可能性も否定できない。最高権力者が倒れ、北朝鮮は軍の集団指導体制に移るのか。果たして軍は一枚岩か。分裂しておのおの中国や米国、ロシアと結ぼうとする動きはないのか。その場合、事態はどう動くのか。

 朝鮮半島に影響を拡大したい中国は、すでに数年前から北朝鮮有事に備えてきた。中朝国境への道路は事実上の軍用道路として拡張、整備済みだ。国境を形成する豆満江の中国側には、即、橋を架けられるように資材と装備も貯蔵済みだ。渡河訓練も怠りなく、国境には東北瀋陽軍区の中国人民解放軍が展開する。

 金総書記に起きたと思われる異変に、韓国、米中はじめ、諸国は総力をあげて情報を収集し、緊急体制を敷いたと思われる。

 わが国首相が責任放棄で一休みしたり、官邸に引きこもったりしている場合ではないのだ。拉致問題は自分の手で解決すると公言したにもかかわらず、この無責任さは見るに堪えない。

 国家観なき福田氏からは、任期中、国益擁護の発言もなかった。中国は東シナ海、尖閣諸島、歴史教育、毒ギョーザなど、多くの事案で日本の国益と国民を脅かしてきた。その中国にひたすら主張なき融和姿勢を取る福田氏は、中国が、どのように米国とわたり合ったかを見るがよい。

                   ◇

 1989年の天安門事件で国際社会の制裁を科せられた中国に、ブッシュ大統領が密使を送った。制裁による中国の孤立は米国の国益に合致しないと判断、人権問題などで中国の譲歩を引き出し、米国議会やサミットでの中国制裁を緩和したいと考えたのだ。

 大統領特使のスコウクロフト氏を待つ北京では李鵬首相と銭其●外相が、厳しい国際世論を予想して緊張と不安の中にあった。米国との関係修復なしには、中国の改革開放も進み得ない。その大国、米国の密使来訪におびえる李鵬らをトウ小平が叱咤(しった)した。

 「中米関係はうまくやらねばならないが、恐れてはだめだ。中国人の気概と士気を持て」(伊藤正『トウ小平秘録』産経新聞社)

 天安門事件で300人余りを殺害し、世界の糾弾を浴びた中国は、米国を恐れつつも、中国が信ずる中国の未来のための原則、つまり、政治の民主化は許さず一党支配を堅持するという根本原則では、絶対に譲らなかったのだ。

 国際社会が受け入れ難い、時代に逆行する価値観であっても、トウ小平らは自国の国益のために主張した。こうしてブッシュ政権の柔軟外交は潰(つぶ)れたが、次に中国が狙いを定めた日本はやすやすと中国の要請に応じた諸国に先がけて制裁を解除した日本が、国際社会の中国包囲網の突破口となったのは周知のとおりだ。

 だが、97年5月9日、自民党行政改革推進本部総会で武藤嘉文総務庁長官が、95年にキーティング豪州首相から聞いたことについて報告した。「李鵬首相がキーティング首相に、30年後に日本は潰れると語った」というのだ。

 天安門事件での制裁を、中日友好のためと信じて、いち早く解除し、92年には天皇皇后両陛下の御訪中を実現して親中外交に努めた日本を、やがて潰れる哀れな国だと、中国は見なしていたのだ。

 国家としての誇りも自覚もない国は侮られるのだ
この上なく浅薄な友好の言葉しか発しなかった福田首相の足跡を、次の首相は敢然と塗り替えなければならない。新首相は魂を込めて、日本のために語り、主張することだ
新首相は、大きく変わる世界情勢を冷静に分析し、命を懸ける想(おも)いで日本の未来のために熱く闘い続ける人物でなければならない

------------------------------------------------------

「闘う政治家」 を目指した安倍氏が病に倒れ、代わった首相が 「闘わない政治家」 であった不幸。
その不幸をどれほどの国民が実感しているのか。
日本の国益を優先し、党派を超えての協力の要請のための交渉に尽力すべきで、
そのために出来る手を尽くすべきだったと考えています。
少なくとも、首相の座を辞する覚悟があるならば、出来ることが有ったはずです。
それが首相としての務めであり義務であったはずです。

辞する宣言さえすれば放棄できるという職務ではなかったはずです。
それが、「あなたとは違う」 はずの首相という立場です。

ねじれを生んだのも自民党(与党)の責任であり、国民の選択であるならば、
その結果を重く受け止め行動するのが首相です。
代わりが可能な首相が、「あなたとは違う」 と主張しても説得力を持ちませんし、
そういう(代わりがいると考える)考え方こそが、「他人事のように聞こえる」 のです。

記者に逆切れするような首相だったのですから、
首相の座に固執することなく、早々に辞任して下さって良かった。
その潔さこそが、福田氏の長所であったのだと… なんだかスゴイ褒め方(?)しか出来ない現実。
その現実を福田氏がどれほど自覚されているのか…
おそらく、
「私は悪くない」 と考えられる客観性(?)ゆえの辞任であると… 思えてなりません。
それは、けっして、自分自身を客観的に見れるゆえではなく、
日本の将来さえも他人ごとと考えることの出来る客観性なのだと思います。
そういう意味では、確かに客観的であり、他人ごとなのです。

健康を害するほどの苦悩も激務も至ることが無かったということを、
図らずも、証明をしてしまった発言だったと思います。

福田首相の在任期間は、日本にとっても本人にとっても不幸な期間であったようです。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。