金沢翔子氏の書 [テレビ]
昨夜(11/18)放送の 『ザ・ベストハウス123』
中尾彬氏が書道家・金澤翔子氏をプレゼンしていました。
■絶望と闘った母と娘!ダウン症の天才書道家
「金澤翔子の書の世界」
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辛い不妊治療の末、42歳で授かった子。それが翔子さんでした。
お腹にいるときから、バレエやピアノを習わせたいと夢を抱いていたご両親。
ダウン症と知ったときの衝撃を日記に記されています。
プレゼンでは、その日記を通じての心の変化をもプレゼンしていました。
なぜ私だけに、なぜ翔子に…
他の子と比べて落胆し、希望も夢も潰えたかのように思い込むお母様。
この子を殺して私も死のう。
そんなことを思う日々。
今、地震が起きたら、驚いて手を滑らせて(ベランダから)落としたことにしよう。
そんな悪夢を見るような想いで鬱々とする日々だったとか。
そんな折り、本当に地震が…
お母様の取った行動は、娘の翔子を地震から守ることでした。
地震が、お母様の心を救ったといいます。地震で目が醒めたそうです。
無邪気に笑う娘。なんて可愛いのだろう。
掛け替えのない命。愛おしい命。
それから、お母様は、翔子さんと真っ直ぐに歩いていかれます。
ピアノもバレエも習わせてみたけれど、あまり興味を持たない翔子さん。
お母様は、書道家でもあったので、翔子さんに書道を教えることに。
歩みは遅くとも確実に進歩する翔子さんの書。
そして、お手本を見て書く書から、自分で描く書へ。
その書は、翔子さんしか描けない書であり、翔子さんの想いでした。
それが翔子さんの書の天才としての開花であり、多くの人の感動を生む書に至ることになります。
エピソードも良かったです。
運動会で走り出しても後ろの子を気遣い後ろの子に駆け寄る翔子さん。
駆け寄られた子が走り出し、結果ビリになってしまった翔子さん。
けれども、ビリになることなど意に介しない優しさ。
月を見て、その美しさに涙する翔子さん。
染色体の数が一本多いと言われるダウン症。
感じる心も感性も多いのかも知れませんね。
お母様が字の書き方で、”右肩上がり” を教える際には、坂道を一緒に上ったこと。
”並行” を教える際には、線路を一緒に歩いたこと。
それらのエピソードも紹介されました。
お母様の苦しみ。
その苦しみは絶えることは無いかも知れません。
けれども、喜びも絶えることも無いのかも知れない。
希望とは、お金で買えるものではありません。
そして、諦めない限り、なくなることはないのかも知れません。
素晴らしい生き方を見せていただきました。
生まれた命に無駄はありません。
最初に、希望を見い出すのは家族かも知れません。
子らを慈しむのは家族かも知れません。
やがて、家族は地域や国にまで広がります。
ならば、国が地域や家族を慈しまねばなりません。
その方法は、お金のバラマキなどではないはずです。
もちろん、お金も必要でしょう。
けれど、お金以上に智慧と勇気を使って欲しいと思わずにはいられません。
家族や個人が大切にされる仕組みを作るのが国の務めでありましょう。
個人の命や財産を守り育てるのが国の勤めであると思います。
命の慈しまれる環境の整備。
日本の未来までを見据えて、希望が失われない政治を望んでやみません。
中尾彬氏が書道家・金澤翔子氏をプレゼンしていました。
■絶望と闘った母と娘!ダウン症の天才書道家
『金澤翔子』
彼女は、ダウン症候群だが、そんな彼女が、前人未踏の、驚くべき偉業をなし遂げた。
京都の名刹、建仁寺。国宝として名高い、あの『風神雷神図』。
この有名な屏風の隣に、彼女が書いた、『風神雷神』が展示されたのだ。
これは、800年を誇る、建仁寺の歴史でも、初めての出来事。名だたる書道家を唸らせる、彼女の書。その価値は、1000万円は下らないと言われている。
ダウン症の翔子が、なぜ、これほど天才的な書を書けるのか?
そこには、純真無垢な娘と、彼女を懸命に支えた母との、愛と苦悩の、人生物語があった。
翔子は、どんな習い事より、字を書くことに興味を持った。母に、褒められたい。その一心で、書道を続けていた。翔子には、天才が眠っていた。
2005年。20歳の時。初めて“大筆”に挑戦する。
大きな紙に解き放たれた、翔子の文字は、力強い生命力に、満ちあふれていた。
今や、全国各地で個展が開かれる程、注目の書道家になった、翔子。その作品を見に、多くの人が訪れる。その一人一人に、積極的に話しかける。翔子と触れ合い、涙する人もいる。
翔子は言う。褒めてくれる人がいるから、頑張れると。
二人は強い絆で、宿命を乗り越え、誰もなし得ない豊かな人生を切り開いたのだ。
「金澤翔子の書の世界」
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辛い不妊治療の末、42歳で授かった子。それが翔子さんでした。
お腹にいるときから、バレエやピアノを習わせたいと夢を抱いていたご両親。
ダウン症と知ったときの衝撃を日記に記されています。
プレゼンでは、その日記を通じての心の変化をもプレゼンしていました。
なぜ私だけに、なぜ翔子に…
他の子と比べて落胆し、希望も夢も潰えたかのように思い込むお母様。
この子を殺して私も死のう。
そんなことを思う日々。
今、地震が起きたら、驚いて手を滑らせて(ベランダから)落としたことにしよう。
そんな悪夢を見るような想いで鬱々とする日々だったとか。
そんな折り、本当に地震が…
お母様の取った行動は、娘の翔子を地震から守ることでした。
地震が、お母様の心を救ったといいます。地震で目が醒めたそうです。
無邪気に笑う娘。なんて可愛いのだろう。
掛け替えのない命。愛おしい命。
それから、お母様は、翔子さんと真っ直ぐに歩いていかれます。
ピアノもバレエも習わせてみたけれど、あまり興味を持たない翔子さん。
お母様は、書道家でもあったので、翔子さんに書道を教えることに。
歩みは遅くとも確実に進歩する翔子さんの書。
そして、お手本を見て書く書から、自分で描く書へ。
その書は、翔子さんしか描けない書であり、翔子さんの想いでした。
それが翔子さんの書の天才としての開花であり、多くの人の感動を生む書に至ることになります。
エピソードも良かったです。
運動会で走り出しても後ろの子を気遣い後ろの子に駆け寄る翔子さん。
駆け寄られた子が走り出し、結果ビリになってしまった翔子さん。
けれども、ビリになることなど意に介しない優しさ。
月を見て、その美しさに涙する翔子さん。
染色体の数が一本多いと言われるダウン症。
感じる心も感性も多いのかも知れませんね。
お母様が字の書き方で、”右肩上がり” を教える際には、坂道を一緒に上ったこと。
”並行” を教える際には、線路を一緒に歩いたこと。
それらのエピソードも紹介されました。
お母様の苦しみ。
その苦しみは絶えることは無いかも知れません。
けれども、喜びも絶えることも無いのかも知れない。
希望とは、お金で買えるものではありません。
そして、諦めない限り、なくなることはないのかも知れません。
素晴らしい生き方を見せていただきました。
生まれた命に無駄はありません。
最初に、希望を見い出すのは家族かも知れません。
子らを慈しむのは家族かも知れません。
やがて、家族は地域や国にまで広がります。
ならば、国が地域や家族を慈しまねばなりません。
その方法は、お金のバラマキなどではないはずです。
もちろん、お金も必要でしょう。
けれど、お金以上に智慧と勇気を使って欲しいと思わずにはいられません。
家族や個人が大切にされる仕組みを作るのが国の務めでありましょう。
個人の命や財産を守り育てるのが国の勤めであると思います。
命の慈しまれる環境の整備。
日本の未来までを見据えて、希望が失われない政治を望んでやみません。
優しいだけではダメなようですね。
(成長を妨げるのかも知れません)
時には厳しく、けれども愛おしむ気持ちは誰にも負けない。
そんな気持ちが必要なのかも知れません。
子育ては…
真剣勝負。向き合わねばなりませんから。
泣き・笑い。だと思います。
※雑誌、女性自身 「シリーズ人間」 記事もあっていたようです。
(ご参考)
■WEB女性自身 特別公開 「シリーズ人間」
http://74.125.153.132/search?q=cache:axo380CZa9IJ:www.jisin-blog2.jp/series_ningen/2009/04/index.html+%E5%8F%B3%E8%82%A9%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%82%8A%E3%80%80%E9%87%91%E6%BE%A4%E7%BF%94%E5%AD%90&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
by 元気 (2009-11-19 10:55)