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祝い箸・雑煮 [知らなかったこと]

[猫]今は師走。12月。
今年もいよいよ残り少なくなってまいりました。
年の瀬には、来年が良い年であることを願いつつ、いつも慌しく過ぎていく気がします。

今、私たちが生きておりますことは、
必ず、父と母があるということでありますし、
その父と母には、必ず、父と母があるということでもあります。
そのようにして、何代も遡りますと…

2x2x2x2x… と、数を計算していきますと、27代を遡りますと…

なんと、1億3000万(134217728)柱の祖先がいらっしゃることになります。
30歳前後で子を産んだとして… 27代前は、だいたい鎌倉時代になるかと思われます。

すると、日本の人口が約1億3千万人らしいですから、
(たった?)27代遡ることだけで、日本の人口ほどの祖先をいただいていることになります。

祖先の一人、誰が欠けても今の自分は居ないのですから命とは、凄いことです。

連綿と続く系譜の先、最末端が今の自分になる。そう思えば、なんだか厳粛な気持ちになります。
ご先祖様というのは、亡くなってからも我々生きている子孫の行く末を見守っていて下さる。
そう考えると、勝手な振る舞いをしがちな自分を戒め恥じる気付きが得られる気もします。

神道では、死ぬと、ゆくゆくは神様になるとされています。
路傍の石や草花にさえ神様が宿り、器物にすら神が宿ると考えるのは、
万物に対する慈しみの心を持ち、畏れを持つことで、自らの欲望を律することに繋がると考えられます。
今、自分が対峙している人や物にご先祖の魂が宿っているとしたら、大切にせねばおられないはずです。

死ぬと、その魂は、高天原に帰る。
その魂は、やがて山や森に宿って神になる。
全てのものに神が宿るから、八百万の神となるのです。

縁(えにし)とは、不思議なもので、いつ、どこで、誰と出会うのか想像も出来ません。
けれど、縦の縁であるご先祖様たちと、横の縁である今を生きている人々との関係(ご縁)、
連綿と連なる縁の織り成す関係は、どんなに小さくても薄くても無関係ではないと思います。
自分を大切にすることは、祖先を大切にすることであり、祖先を大切にすることは自分を大切にすることです。
同様に、今を生きているどうし、外国人であっても、他を大切にすることは自らを大切にすることに繋がります。(へりくだり、おもねることとは違います。先祖の誇りを持つ同志として尊重するということです)

大切な縁をいただいて、関わることをしたならば、縁を大切にしたい。そう思います。
なぜなら、その方にも自分と同じ数のお先祖様がいらっしゃるからです。

そういう先祖様を祀ることが祭祀です。
祭祀を大切にすることは、今を生きている我々の命を大切にするだけでなく、
これから生まれて来るだろう子孫までを大切にすることに繋がります。
我々、今を生きている者も、誰もが、いずれは死にます。
死したならば、子らの行く末を見守り、その魂(思い)を添わしたいと願わずにはいられません。

と、話が長くなりました。

もうすぐ、もういくつか寝ると、お正月です。[黒ハート]
お正月に食べるお餅。使う祝い箸。
その意味に思いを馳せるに良い機会であると思います。

ご存知でしたか?
お雑煮。祝い箸。の意味。
祝い箸のもう一方の先では、ご先祖様が一緒に召し上がっておられるのですよ。[ぴかぴか(新しい)]

余談:『ムーミン谷の冬』 では、ムーミンのご先祖様が出て来ますよ。[わーい(嬉しい顔)]

キッズgoo 「お雑煮、祝い箸」
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扉0010.JPG

[かわいい] 来年が良い年でありますように [かわいい]



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元気

南出喜久治氏、祭祀の道。
http://kokutaigoji.com/suggest/sg_saishi_h220101.html

良い文章を見つけたので転載しておきます。
知らないことだらけです。(汗)

おせち料理をいただくときに使ふ「祝ひ箸」といふのは、「神人共食」のためのものです。
「祝ひ箸」は、両端が細くなつた白木の丸箸ですが、丸いのは、「玉(たま)」を意味し、「玉」は「霊(たま)」を意味します。また、「祝ひ」とは、「齋ひ」であり、神事であるために白木を用ゐます。

そして、両端が細くなつてゐるのは、両方が箸として使ふことができるためです。
片端(下端)は人が、もう片端(上端)は神(祖霊)が使ふためです。
神と人とが共に食する神事のための「神具」です。
この上端は人が使ふものではありません。取り箸として使ふためではありません。

絶対に上端を使つてはダメといふのではありませんが、「神人共食」といふ意味があることを自覚する必要があります。
自覚すれば自づと行動が定まります。
上端を使ふとしても、御先祖様に代はつて、おせちを子供達らに取り分けて与へるといふ気持ちがあればよいのです。

祝ひ箸は、正月だけではなく、祝儀一般に使ひます。
これも祝儀自体がすべて神事だからです。しかし、私たちは、日常的に神人共食の世界で暮らしてゐますので、祝儀のときだけではありませんが、特に、祝儀のときは丁寧になります。それは、祝儀のときが特別な「ハレ(晴れ)」であり、それ以外の日常的なものは「ケ(褻)」だからです。

ところが、「ケ(褻)」のときも、特別に神事を続けることがあります。それは、「蔭膳(かげぜん)」です。「陰膳」とも書きますが、私は、これが「お蔭様」の意味を強調する必要があるので「蔭膳」の表現を用ゐます。

この蔭膳といふのは、長期の旅行や異境に身を置く人の無事を祈る習俗とされてゐますが、高野山奥の院御廟では、現在でも欠かさず毎日二回、空海に御膳が供へられてゐます。この御膳もまた蔭膳です。これはまさに神人共食の変形です。それゆゑ、お蔭様といふ感謝の御膳としての「蔭膳」なのです。

このやうな祭祀の風習は大事に守り続ける必要があります。仏壇や神棚にお供へするのも、御先祖様への蔭膳として自覚して実践することです。その場合、御先祖様専用のお箸をもお添へすることが祭祀の実践となります。
あなたの家の宗教や宗派による制約があるかも知れませんが、出来る限り可能な方法を選んで祭祀の復活を心がけることです。

by 元気 (2010-01-06 21:05) 

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