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【日韓併合100年】いったい、日本をどうする気だ!? 2/2 [ニュース☆ヾ 何じゃらホイ?]

「【日韓併合100年】いったい、日本をどうする気だ!? 1/2」 ニュース記事の転記の中で、
西田昌司議員を青太字にしています。
西田氏については、今年の5月26日にも記事にしていますが、大切なことを再掲します。
吉田松陰の言葉です。

「国家の大事といえども深憂するに足らず、深憂すべきは人心の正気の足らざるにあり」

正気を失ったかのようなリーダーを持つ日本です。
多くの日本国民こそが正気を取り戻し、政府に疑問を持たねばなりません。

「身を捨てる覚悟と決断が日本を救う」

現代にあっては、特別な地位にある特別な人の話ではないと思います。
我々国民一人一人が、問題解決のカギを握っている。
それが本来の民主主義の正しいありかたではないでしょうか。

この国を守って引き継いでいくのは我々自身です。

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(文字起こし)
こんにちは。参議院議員の西田昌司です。
今日で参議院選挙後の臨時国会が終わりました。
これから最後の本会議があるんですけれども、昨日まで予算委員会がありまして、
私も参議院予算委員会の場で質問をさせていただきました。
この様子は、テレビでもご覧いただいたかも知れませんが、
一言でいって、本当に今の民主党の菅政権というのは、まさに、「開き直り」 その一言ですね。

つまり、今回予算委員会要求しましたけれど、
もともと本来は、菅政権が出来た6月に、前の議会で予算委員会を開かねばならなかったのです。
鳩山さんと菅さんでどう違うのかと、政治とカネの問題、普天間の問題で、政権を投げ出す。
そのことを受けて出来た菅政権ですから、そこをしっかり国民に知らせるということが大事なことで、
それが国会の使命であったのですが、それをしないまま選挙をやって、
政権交代、総理大臣が代わったので、V字回復したことに気をよくして、このままいけば選挙に勝てるとふんだのでしょう。ところが結局は、そういう見え透いたズルイ考えが全て国民の前にさらされて、今回の結果になったわけです。

今回の予算委員会では、そういった菅政権の性格をもう一度改めて、国民に知らせるために、なぜあの選挙が割れたのかを含めて、「民主党のモラルの無さ」、「不誠実な対応の仕方」 こういうことを問題にしたのですが、特に一番腹立たしく思いましたことは、仙石官房長官ですね。
この方は、たびたび、歴史認識について、非常に個人的な見解を政府の見解。
当然官房長官見解が政府見解になってるもんなんですけれども、
非常にデタラメな歴史観から来ているわけです。

日韓基本条約についても、記者会見の場では、「朴政権は軍事政権だから民意が反映されてなかったんじゃないか」 という、条約そのものがオカシイじゃないかいうこと、におわす発言を言っているわけで、そこを今度質(ただ)すとですね、「耳の穴をかっぽじいて、刮目して聞いていただきたい」 という、全く無礼千万な、官房長官としては全くありえない言葉を使いながら、うだうだ言ってましたが、「法的には問題ない」 と…
「法的には問題」 もなにも、確認したわけです。
また、新たな補償をにおわすような発言を次の段階で、別の機会にしているわけです。
これではいったい、日本と韓国の関係。そもそも外交そのものが成り立たなくなるんです。

これは、ちょうど、沖縄普天間の問題で、ようするに、前の政権が決めたkれども民主党としてはゼロベースでやると、そして、散々沖縄県民の心を弄んだあげくが、結局は元のもくあみ。
そして、自民党と同じ案になってきたら、今度は、菅政権は何を言っているのかといえば、
「いや、そんなこと言っても、我々一番大事なのは普天間。これを無くして沖縄県民の少しでも負担を少なくしていくことが大事なんだ」 と、それが一番大事なんだと言っているんですけれども、それを出来なくしたのは、あんたがたでしょ。
自分たちがやって来たことに対する認識がいまだに無いわけです。

つまり、そんな風に、一から十まで、数え上げればキリがないんですけれども、
ようするに、彼ら自身は自分たちがやったことに全く反省が無いし、そのことを認めろと追求すればするほど、今度は開き直っていく。そして、最後には言葉に詰まって、逆切れをする。
言葉も出せない。自分たちに対して怒りを持っていけばいいのに、

国民に向けて刃を向けるような国会での答弁

というのは、ありえないと思っています。

これはもう、政権を持つ資格自体がないんですから。
何度も言ってますが、もう一度、解散総選挙で、民意を問い直さなければならない
そういう印象を強くしたわけです。

同時に、今年は日韓併合100年。
しして、また、もうじきお盆がやってまいりますけれど、今日はちょうど、広島の原爆投下の日ですよね。
そして、長崎は3日後に来ると。いつもこの時期になりますと、あの戦争はどうだったのか。
いうことで、議論があるんです。
私もあの戦争について、一言で申し上げるのは難しいんですけれども、
国民の皆さんにぜひ考えていただきたいのは、あの戦争の意味というものは、
実は、一度も日本の中でまともに議論されたことがないんですね。

かつて、戦争をしている最中というのは、一億一致で鬼畜米英に向かっていかなければならない。
そういう形の報道が繰り返されて来たし、皆がそういう気持ちでやってきた。
ところが終わって、アメリカに占領されてくると、その間、言論統制はもちろん有ったんです。
けれども、占領が終わってから後も、ずっと言われているのは、

「あの戦争は全く間違いであった」 そして、「悪いのは、日本である」
「日本は反省をしなければならない」


こういうフレーズが、繰り返し。だけなんですよね。
私も戦後世代ですから、そういう教育を受けてまいりましたけれど、
一番疑問なのは、当事者あって戦争というのがあるのですから、

日本が一方的に悪くて戦争なんてものが、はたしてありえるのか。

そもそも、もっと言えば、子ども心に一番感じましたのは、例えば日本の国とアメリカの国。
ここに世界地図がありますけれども、地図を見ただけでも何十倍の大きさだし、国力が違う。
当時私は、昭和33年生まれで、小学校の時代。30年台、40年台の始めでしょう。
アメリカのドラマを見ても、これだけ国力が違う国と、なぜ戦争をしたのか。
ずっと疑問に思ってたぐらいなんですよ。
そういうことをした大人とか、本当にバカなんだろうなぁという印象を持っていました。
まさに、戦後教育の中で育った。そう、思うんです。

しかし、おや?と考えたわけですよね。
それだけ、とんでもないことをする。それには、それだけの理由があるんだと。
いったい何なんだろうと、ずっと考えてみますと、あの戦争が昭和20年8月15日で終わりましたけれども、
よく考えて見ますと、そのたかだか100年くらい前、日本は、まだ江戸時代で、鎖国をしているわけです。

海外と戦争をするという意識も、そういう気持ちも全くなかった。
むしろ、その100年前の状況というのは、海外では、列強がそれぞれアジアに進出して、まさに植民地化が行われてきた。
黒船がやって来て、幕府の幕末の混乱の様子が今の『竜馬伝』 なんかに出ていますけれども、あの時代なんですよ。まさに、この国が外国の圧力で植民地化されてしまうかも知れない。そんな中で、日本人は、幕府と薩長という大きな勢力がありましたけれども、要は、どちらにしましても、幕府の方は、開国をして、最後は、公儀一体で、日本を外国から守る政権をつくると。薩長の方は、もっと、幕府自体を潰して、外国から日本を守るんだと。

要するに、そこから始まっているんですよ。
日本が、まずもって海外に進出していくキッカケとなったのが、実は海外、ヨーロッパ、アメリカ、
列強がアジア支援を始めたことに対する防御という視点から始まったことを絶対に忘れてはならない。

その中で、日本と韓国の関係が出て来ます。
そうすると、その当時の韓国というのは何だったんだろうか。
もちろん、韓国という国はあったけれども、当時の清国のいわゆる属国。
ありていに言えばそういうことだったんでしょう。
自分達で外交権を、外国と交渉する権利を持たないわけですよね。
ですから、日本は、一緒になって海外に立ち向かっていくためには、
一番近くの韓国にもそうなって欲しいと、そういう形で国交と結ぼうと思っても、国交すら結べない
清国の許可を得なければならない。
そういうことから、実は、征韓論というのが出て来るんですよね。
最後は、私が心をくだいて行くからと、それから、韓国で殺されるかもしれない。
そうなったときに、君たち、考えればいいんじゃいかと。
単に、韓国を責めろと最後まで言ったワケじゃないんですよ。

それぐらい心をくだいて韓国のことを考えていたけれども、結局は韓国では、当時の状況としては、
自分たちの国を自立してやっていこうと、日本のようなカタチで、明治維新のようなカタチで乗り越えてやっていこうというところまで、到らなかったわけですよね。
そして、韓国の後ろには清国がいたし、そして、ロシアが自分たちの不凍墾を求めて下ってきていた。
その韓国の後ろにいる清国、それからロシア。もし、ロシアが韓国を取ってしまうようなことがあれば、それは地図を見ても分かるとおり、まさに日本の喉元にジャック。ナイフが突き刺さす状態ですから、どうしようもない。
そういうことを含めて、様々な歴史の中で、日本と韓国が併合すると。
そのことによって、韓国をアジアの、自分たちの国民として、迎え入れて、お互いが外国の勢力から立ち向かおうではないかと。そういう合意があったから出来たんですよね。

その中には、色々な細かい経緯があったと思いますが、基本的な考えはそうだった。
これは、法律に基いて行われているわけですから、軍事力、戦争で分捕ったわけではない。
ただ、私は、振り返って考えてみると、そういう風に、条約で、法律に基いてやってきたということであっても、
韓国の方からすると、自分たち独立した国が他の民族に支配されていくというのは、
清国であろうと、ロシアであろうと、不快なことには間違いないこと。
今、立派に韓国は自立された国になっていますけれども、今がそういう風になればなるほど、
過去のああいう、自分たちの歴史からすると消してしまいたいような、そういう気持ちになって、
非常に、当時の日本に対して、批判的な声が出て来るのも、ある意味、韓国人からすると仕方がないと思う。それが、その国の歴史というものなんです。韓国の立場からするとそういうことなんだと思います。

しかし、同時に我々は日本人なわけです。
日本の立場としてはどうだったのか。
もしも、韓国がそのまま、日韓併合がなくて、そのままの状態だったら、もっといえば、日本という国が無ければ、間違いなく、韓国は、ロシアの支配下になっていたでしょう。
そうなったときに、日本はどうなったのかというと、我々の国自体もトンデモナイ状況になって、もしかしたら、ロシアが日本に攻めてきて、国が分断されているようなことになったかも知れません。

そういう風に、歴史というのは、それぞれの国によって、捉え方が違って来るのは当たり前なんです。
それを戦後の日本の中では、きちんと教えないで、日本の立場というものを教えないで、歴史的事実を他の国の立場から教えてきている。
一番、典型が、戦後の歴史観というのは、戦勝国の側から見た日本の歴史をずっと近代の歴史として教えてきているわけですよね。
そして、近年では、特に韓国や中国との間で、彼らの立場から、韓国や中国の立場から日本の歴史を教えてきている。
では、日本の立場からの歴史は誰が教えてきているんだというと、誰も教えてない。
それで、我々のような戦後世代の人間でも、これオカシイじゃないかと、
自分たちの国の立場は、自分たちで一度考えてみようということで、そうすると、今は様々な情報が自由にインターネットなどを通じて取ることが出来るんです。
色んな情報、複数、取っていって、自分たちで、本当に、心静かに考えていくと、
彼らの立場は分かるけれども、我々の立場もしっかり有ったなぁと、そういうことに、誰もが気がつくと思うんです。

本当は、それが、みんなが、ちゃんと、きっちり、互いの立場を分かり合って出来ればいいんですけれども、
外交というのは、本当は、相手の立場は分かるけれども、僕たちは、我々の国が大事と、こういうんだ。
あなたがたは、こういうんだ。そこで、話し合いをしながら、外交交渉するんです。

それが時として、武力が伴うこともあるんでしょうけれども。
要するに、どちらにしましても、自分たちの国の立場を代弁しなければ、外交交渉自体がないんです。
今の日本の最大の問題。特に、民主党政権の問題というのは、そういう自分達の立場を、自分達が日本政府の代表として、自分達が歴史を、

自分達の国の立場で背負っていくという決意も覚悟も知識もない

ということなんです。
これは、まさにお粗末な話で、仙石官房長官の私が国会で聞いた発言というのは、
まさに、そうしたことを象徴しているわけですよ。
そこを突かれると、まさに逆切れされるという。
本当に、ブザマな姿でありましたけれども、ぜひ、国民の皆さまにも、短い時間ですから語りつくすことは出来ませんが、また、機会があれば、お話させていただきたいと思いますけれども、

自分達の国の歴史は、自分達自身で素直に受け継いで、
もちろん良い所もあれば、悪いとこともある。
それはそれで全てを受け入れ、引き受けてやっていくという、
そういう、まず、覚悟がなければ、国なんてありえないんです。
歴史というのは、引き継ぐ覚悟が必要だと思うんですよ。

そして、最後に、原爆の話にもなるんですけれども、あれは本当に、
広島と長崎で何十万人の人が無辜(むこ)の民が殺害されてしまった
とんでもない話なんです。

日本が、あれを心に刻んでいかなければならない。
当然なんですが、それも先ほど言ったこととかぶるんですが、
広島に行って、おそらく、今日も様々な行事があったんでしょう。
あそこで、私が一番疑問に思うのは、あの広島の平和公園の碑文ですね。あそこに、

安らかにお眠り下さい。二度と過ちは繰り返しませんから。

こういう碑文があるんです。
黙って、すっと聞いてしまうと、そのまま流れてしまうのですが、よくよく考えて見ると、これは、
誰が誰に言っているのかと。いうことなんですよね。

安らかにお眠り下さい。というのは、もちろん、亡くなった方々に対してですけれども、
それが日本人が言っているとしたら、
二度と過ちは繰り返しません。というのは、あの原爆を落としたのは誰なのか。
日本人なのかといえば、そうじゃないですよね。じゃ、この意味はどういうことなのということになる。

アメリカ人が、日本の無辜の民を殺害したことを反省して出しているんだったら分かるんです。
アメリカ人が、本来吐くべき言葉を何も考えず日本人がそのまま亡くなった方に出していること自体、
自分達の立場が全く転換されていることが分かっていない。一つの証左だと思います。

そういうことも含めて、たくさんのタブーがありますけれども、一番の問題は、

日本人が日本人であり、この国を守って引き継いでいくのは我々自身

なんだという、当たり前の認識と覚悟がなくなり、そして、そのことを教える人が誰もいなくなった。
それが今、日本の一番大きな問題だと思っています。

ここをこれからもしっかりと訴えていかないとならないと思っています。
特にこれから、お盆になりますから、もう一度、我々はそのことを国民の皆さんと考えていきたいと思っております。

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[猫]韓国の立場で、両国の関係を損なう日韓併合の謝罪談話を出すよりも、
日本目線で、建設的な両国の関係を構築する方が双方の国益に適うはずですが…
そんな世界観も歴史観も覚悟もない。
今の日本政府に我々の命と財産を託すことの怖さを思わずにはいられません。

(原爆関係・ご参考)
■原爆投下

■ヒロシマの平和を疑う! 【8.6田母神講演会】 

■大亜細亜悲願之碑 ( だいあじあひがんのひ )
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元気

花うさぎさんのブログをご覧下さい。
「式典では読まれないもうひとつの平和宣言」
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/1735313/

『広島市平和記念式典で読まれない もう一つの平和宣言』(「平和と安全を求める被爆者たちの会」)
転記いたします。

 ここに眠る皆様に謹んで申し上げます。65年前のあの日、火事を避けて太田川の河原で見た現実はこの世のほかの風景でした。広島市の惨状は大戦で被害を受けた他のどの地にも増して悲惨な光景でした。その日からわずか20日後の記録があります。

夥(おびただ)しい人の誰も泣かない。だれも感情を抑え、阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)の気配はどこにもない。黙って静かに死んでいく人達、ひどい火傷の負傷者の寂(じゃく)として静かな姿に心打たれる。水をのみ、握り飯(めし)を頬(ほお)ばってはっきりと名を告げて息を引き取った少年勤労学徒。死骸と並んで寝ることも恐れぬ忍耐。骸(むくろ)になった幼い妹を背負い、直立不動で焼き場に立つ少年。

あなた方はどんな貴族よりも高い精神の中にいたのですね。中華民国は、日本破れたりとはいえ、秩序整然たる態度はわが国人(くにびと)の範(はん)とするに足る、と賞賛しました。

原爆はあなた方の心にまでは届かなかったのです。私たちはそれを誇りとします。

しかし、あなた方はこれが犯罪的で理不尽な攻撃であることを知っていました。外国人特派員を案内した日本人は断固として、「広島の住人は君達を憎悪している」と言ったのです。その言葉は生き残った人々の眼にも顕れていました。それでも、嘆きと憎悪の日を希望の日に変え、互いに助け、互いに労わり、手を携えて復興に邁進されたのです。

多くは斃(たお)れ、別の多くは永らえ、新しい命を育(はぐく)み、街は見事に蘇りました。私たちは今なお、あなた方の力と心によって生かされています。

思えば、我が国人(くにびと)は千数百年にわたり、時来(きた)れば御社(みやしろ)を壊し、また作り、そして精神もまた、蘇ってきたのです。広島も同じです。古(いにしえ)に海を越えてやって来た数多(あまた)の神々もそれぞれにその所を得て先祖たちと溶け合い、懐深い心を作りました。それでも人の生きる営みは時に争いを起し、猛(たけ)き者もやがては滅びました。この姿に、人々は千年も前に悟ったのです。永遠に続くものは無いと。消えかつ結ぶ泡(うたかた)の命の、浅い夢に酔うことはないと。

東から吹き寄せた風は束の間の300年の平穏を破り、父祖たちは荒ぶる世界に直面しました。そして様々な人たちの様々な故郷(ふるさと)は取り、あるいは取られ、ついにあの日が来たのです。 

私たちは矛(ほこ)を収めましたが荒ぶる世界はなおも続きました。世界の東西に壁が張り巡らされました。時の流れの中で恩讐を超えて、この国はあなた方を苦しめた側に立ちました。そして豊かさを得ました。しかし、あなた方の、あの静かなる誇りと忍耐や高い精神は忘れられてきています。

20年前、西方では自由の風が壁を壊しました。古人(いにしえびと)の悟りは正しかったのです。近くの壁の力は弱くなり、勃興した新しい猛(たけ)き力は暖気と冷気の混ざり合った渦となり、我が国に吹き寄せています。核の国は増え続け、核の知識は広がりました。不気味な隣国の増大する核の脅威に私たちは曝(さら)されるようになりました。

未だなお、奪われたままの故郷(ふるさと)があります。奪われたままの同朋(どうほう)がいます。奪われるかもしれない故郷(ふるさと)もあります。今、我が国の苦難は深まっているのです。これに慄(おのの)き、避けんとする人々は茫漠(ぼうばく)たる抽象の彼方に視界を送り、観衆の声援を集めることに力を費やし、照らし出すべき光の焦点を定めようとはしていません。しかし、声援はあっても、その光の先には未だ想像以外のどんな実像も結ばれていません。

その一方で、歩むべき足元の道は闇に隠れました。そしてこの国では、足下の道を拓(ひら)くどころか、そこに光を当てることすら忌避されるようになりました。私たちが苦難を乗り越えて生きるためには、今歩むべき道筋をしっかりと見定めなければなりません。風の前の塵であってはならないのです。 

私たちは決意しました。例え忌避されようとも、闇にもまた光を当てなければならないと。遠くも、近くも、そしてどんなに苦しくとも照らし出さなければならないのです。万国の法は核と争いの縮小を求めています。さらにその実現のために、声援だけではない努力も求めています。

直接の脅威に曝(さら)される我が国は、万国の法の認める価値をともにする国の取る行動と歩みを合わせ、あらゆる努力が傾けられなければなりません。今日平和であることは、明日の平和を保証しないのです。明日に連なる実効的な努力の継続だけが、永続する平和への扉を開くのだと確信します。

私たちはまだ、あなた方に「安らかに眠ってください」と言える資格がありません。今の私たちには、世界と溶け合った古(いにしえ)の心に源流をもつ、その賞賛すべき高い精神を必ずしも受け継いではいないからです。しかし、私たちは忍耐を持って理不尽な死を迎える直前、「兵隊さん、仇(かたき)を取って下さい」と言われた人のいたことを忘れません。

あなた方は今もなお、私たちと共にあります。どうか見守ってください。あなた方の高き心が私たちの精神に満たされたとき、そして継続する努力が日々の平和を繋(つな)ぐことが出来たとき、私たちの仇(かたき)討ちは終わります。その暁(あかつき)には、改めてあなた方に申し上げるでしょう。「安心してお休み下さい。過ちは繰り返させませんから」

式典で読まれないもう一つの平和宣言

広島 平成22年8月6日

「平和と安全を求める被爆者たちの会」
代表     秀 道広(被爆二世)
事務局長代理 池中美平(被爆二世)

by 元気 (2010-08-11 16:24) 

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