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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 11/18 [記録]

[猫]今、改めて、なぜ、この文書が極秘だったのか。
  考える必要があると思います。

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 11/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_011r.html

p11.jpg
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竹越  質問すべきことはない。又、する必要もない。

河原  前文の 「廃止」 と「排除」 の差如何

金森  「廃止」 と云うと現在のもののみを排除する意味の様にひびくが将来のものも
     含める意味で 「排除」 とした。

河原  「主権」 と云う語は同じ憲法の中では同じに使わねばならない。先程の
     ご説明で修正箇所の 「主権」 はよろしいが、前文後段の 「主権」 はちがふではないか。

金森  仰せの通り。前文後段の 「主権」 は国家が外に対してもつ働きということ
     であり2つの間に(書き足し:少し)矛盾があることは認める。

                                  (一二、〇五 散会)

    --------------

    第二回  審査委員会                (一〇、二一)

遠藤   主権の所在について一言希望したい。私は條文の文字の上で国体
     がどうなっても国民の天皇に対する信念は不変と思う。その点指導
     よろしきを得る様お願いしたい。

関屋   国体について色々お話があり、諒承するが、これの解釈(?)によっては
     影響する所が多いと思ふ。若い大学の学者連中の懸念を知っている。
     これが貴族院の質問の原因であると思ふ。政府の考えを決められる
     前に、純な学徒の意見をきかれたい。
     一体外国には国体と云ふ様な概念があるのか。
     「詔勅」 は必ずしも制裁があるわけではない。大きな思想を現はす
     所に妙味がある。どの範囲を詔勅と云ふのか。

金森   「一四條は変わった。しかし、それは政体と云ふべきだ。」 と言って来た。
     しかし、そもそも治安維持法以外には国体の国法上の意味がない。
     だから、大したことはないのだとも云へる。しかし、政治的に考えると
     国体が変わったと云ふことは影響が大きいので、国体不変といふこと
     を旗印にしたのだ。

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『<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 4/18 』 で、
衆議院憲法調査会事務局の、「日本国憲法制定に至るまで」 を載せています。
その中の一つ、「4 憲法議会の審議」 から、

昭和21年7月11日「衆議院憲法改正案委(第10回)」 (逐条審議に入り前文に対する質疑を終了)
も踏まえておく必要があります。

審議したことを小委員会で審議し憲法に反映したとしているからです。(国民の総意であると…)
そして、極秘となっている小委員会の内幕が、「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」です。
当時、(大日本帝国)憲法の改正に関わった人々の姿勢が垣間見えると思います。

なぜ、衆議院で国体を議論したのか。主権を議論したのか。
当時の(主権のない)状況での憲法(全面)改正。

日本国憲法の正統性について、今こそ、論じられるべきです。

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※注! 元気[猫]が現代文に変換。強調したい部分に赤字&線引き。

昭和21年7月11日 「衆議院憲法改正案委(第10回)」
 
委員長:芦田均   国務大臣:金森徳次郎  法制局長長:入江俊郎

○芦田委員長

この際申上げて置きますが、各条項に付きましては、あるいは修正等の御意見もありまして、
色々ご発言もあることと考えますが、ある程度の論議を重ねたあと、その修正等の意見につきましては、これをまとめるために後に小委員会を設け、その小委員会に於て改めて御研究を願うことと致しまして、議事を進めたいと思いますから、ご了承を願います。
まず、標題 「日本憲法」 及び、前文を議題にします。

[猫]小委員会が、 「審査委員会」 にあたります。


(略)
○鈴木(周)委員
前文の 「そもそも国政は、国民の崇高な信託によるものであり」 ということと、
第1条の 「日本国民統合の象徴であつて、」 この所と、
第93条にある 「信託」 というものとの関連性について、
「信託」 という言葉と、「象徴」 という言葉は委託されたる意味における心的現象の現われであるか、
また、統治をする上における主権の、すなわち権利の存在をしめす意味の法文であるか、
その点の関連性を第一に聞きたいと思います。

○金森国務大臣
前文の 「国政は国民の崇高な信託によるものであり、」 ということのこの意味は、
国政全般を指して居る訳でありまして、国の政治は、政治を現実にやっている人が、 自分の為にやるのではない。国民全体の為にやっているのである。そういう考ヘ方であります。
つまり、国政というものが、どうもすれば為政者が自分の考ヘを実行し、自分の為やるという、
一つの考ヘ方がありまして、それをここではっきりと、
国政というものは、やっている人の自分の気分でやるのではない。 まったく国家全体のためにやるのだ。いいかえれば、国民のその総意を国政が引受けてやるのだ。
そういう政治と国民との関係、したがって、また、政治を担任するものと国民との関係をここに明かにした訳であります。

第一条の象徴と申しますのは、国政全般、色々広いのでありますけれども、それとは別に天皇の地位だけに着想して天皇を迎げば国自身がありありと眼に映るという気持ちをいったのでありまして、事柄が少し違っていると思います。
だから、政治自身は、誰がやるのかというと、これは現実の政治をするものが皆、分担してやって居ります。しかし、繰り返しますが、自分のためになるのではない。
国民全般のためにやるのだ、これはそれでよく分かると思うのであります。

第一条は、もちろん国民の全体の総意をうけて天皇が象徴であらせられるというのでありますから、
これは、政治を現実に担任せられるということは、主な着想をして居りません。
仰ぎ見れば、これが国の姿であるということだけであります。
ちょっと分かり難いかも知れませんが、もう少し先の第四条、第七条等の所まで触れさせていただいて、
申しますれば、天皇は条約を認証せらるる。あるいは、栄典を授与せらるるということがある、ここにいきますれば、いくらかはっきりとしてきまして、これは、国民の政治をこの形において実現せられるということでありまして、この前文の中の国民の崇高な信託により、国政の一部をおこなわるるということになります。
第一条は、政治を行うという方でなくして、仰ぎ見ればそれが国であるというのでありますから、
少し縁が遠いような気がしております。

[猫]回りくどく感じるほどの言い回しが必要な理由を考えてしまいますが、
現在の閣僚、官僚、政治家の肝に銘じていただきたい基本のことも発言されています。 「自分のためではない政治」、遵守していただきたいものです。


○鈴木(周)委員 
第九十三条にある所の信託の意味を御説明にならないようですが、一つ御願い致します。


○金森国務大臣
第九十三条の信託は、前文にあります信託とは幾分意味が違っているのであります。
同じ信託という言葉でありましても、前文にあります信託は、本来は国民に属するものであります。
それをうけて国政、すなわち政治機関が運用していく、だから、本体は国民であるけれども、
やって行くのは、政治機関
である。そういう意味であります。

それから、第九十三条の信託というのは、これは大事に扱はねばならぬ本当に貴重な権利である。
永久の権利であるから、自分のものであるからと叩き懐してもよろしいか、そんな風に心得てはいかぬのである。永久の権利として大事に保存して行くべきものである。
そういう意味で信託という言葉が使はれて居る。
すなわち預かり物というような意味で大事にしていこうかという、そういう気持ちであります。

[猫]今の時代こそ、権利を信託であると捉えて、後世に引き継ぐ意識が必要だと思います。


○鈴木(周)委員
ただいまの御説明でどうも納得がいかない。
信託したということになれば、すなわち、物的現象にも心的現象にもこれを信託したことになる。
第一条の象徴ということと関連すれば天皇主権説であるというようにも考えるのであります。
どうも、国民と共に一緒になるというような、この間からの含蓄ある言葉で濁ているようだが、この象徴と信託ということを今少しはっきり御説明願えぬものか。
また、第九十三条の永久の権利として信託せられる。
これも私達はどうしても信託した以上は、これに服従すべき義務があると思う。
その意味から言うと、この憲法の最後の断定を下す上において、また、これを履行する上において、
悪い所の政治家が出来たならば、内閣の助言、あるいは、その他の文章がありますが、
それによって専制政治に近い政治を行い得るようなことになりはしないか
すなわち、信託というものと象徴というものと混同させない方法を考えたことがあるかどうか。
立法技術として伺いたい。

○金森国務大臣
信託という言葉は一つの沿革のあるものでありまして、実は前文を御説明申上げまするためには、
その基本の考えから申し上げなければ分らないと思うのであります。
基本の考えと申しまするのは、例を取って見ますれば日本の法律制度の中に信託会社という風なものがありまして、そこに信託という法律関係が行はれて居ります。
大体これは、法律関係を指している訳ではありませんが、考え方はその考えでありました。

本来、政治というものは、国民が行うべきものであります。
これは、誰が考えてもそう思います。しかしながら、それでは国民の全体が政治を行うことができるが、
国民が一固まりになって裁判をすることが出来るか。
国民が一固まりになってある特定の人から税金を取立てることが出来るかといえば、これは出来ません。
そこで、実行の面におきましては、政治は必ずある特殊の人が政治をしなければならぬ。
あるいは、国会において、法律を議するとか、あるいは、内閣において国の行政方針を決するかという風に
やって行かなければならぬということになります。そうすると、本来働くべきは国民であります。けれども現実に行うのは、議会の議員とか役人とかいうものであります。
この間の関係をどういう言葉で説明したらよろしいか、普通の言葉で申しますならば、使用人とか、雇主が雇人に物を命じてやらせる。そういう考えも浮かぶかも知れませんが、しかし、そういう国家の政治の基本に付きましては、左様な関係はないのであります。
本来は国民自らがやるべき政治であるけれども、その政治というものは、その国民の為に国家の色々な機関がこれを担任して行くのであります。
という意味で国政は大事な信託である。そういう言葉を使ってこの前文が出来ていると思います。
だから、その点におきまして、分かりにくいことは、実はないと思っております。

それから、憲法の第一条によりまする天皇の御地位は、これは日本国民の至高の総意に基くのでありまして、言葉によって明らかにありますがごとく、本来至高の総意というものが基本にありまして、そうして天皇のこの御地位が決まる訳であります。でありますから、ある意味において、信託という言葉の中にも入って入り得ないことはありません。
また、しかし、信託ということは、政治として現実に働く方を指しているので、第一条は、現実に働く意味はないその其の中心点であります。
仰ぎ見て天皇をもって日本の徴象とするということであります。
それが現実に現われてきますのは、四条以下の天皇の種々の御権能の中に現われてきます。
その部分においてやはり信託に基いているということは、これは一点の疑いもないと思う訳であります。
それから、今の九十三条の所の信託というのは、これは誰の権能を誰に授けるとか、そういう第一章にありますような本来何かのものであるのを現実にはあるものをして行いしめるとかそういう意味の信託とは違いまして、本来この権利は大事に扱わなければならぬ、永久の権利としてお前に渡して置くのだから大事に扱わなければならぬという気持で永久の権利として信託したものである。
宇宙の普遍的なる原理によって、そのものは勝手に処分権がないように、これは、自分の自由な権利だから捨ててもよろしいという気持を起してはならぬ。そういう預かり物は大事に預って行くのだという意味で、意味が違っていう意味に了解しております。

○鈴木(周)委員
 さすれば、第七十三条(77条?)に弁護士という言葉があるが弁護士に使う場合において――
刑事被告の其の他の訴訟人を扱う場合において、信託という言葉はなくても信託と見得るかどうか、
即ち前文の信託という言葉は各条に大きな影響を及ぼすと私は思います。
弁護人に対するもの、即ち人権の保護上における弁護人との関連性から見てであります。
なお、第二十七条(29条?)に財産権を侵してはならないとあるが、これに対しての信託行為は一つも又見えてない。その財産行為に対しては――
人権は信託しえるというような弁護人の一つの方法があるが財産権に対する所の信託の方法は見えなかった。これに対して、立案者として研究したことがあるかどうかを伺いたいと思います。

○金森国務大臣
 今の御尋ねは、結局九十三条の解釈又は適用としての御尋ねと思っておりまするが、少し何か原文の趣旨と御尋ねの趣旨とは関係が遠いのではないかという気持がするのであります。
九十三条のは、今まで申上げましたように、結局国民の基本権というものは尊いものである。それを侵すことが出来ない権利として国民にこの憲法は認めるぞ。そういう意味であります。
しかも、勝手に処分しちゃいけない、これは大事な宝物として扱てということで、永久の権利として信託されたものである。そういう趣旨に出来ている。今、御尋ねにありました弁護士に仕事を委託するとか、あるいは、財産権に付きまして何かの委託をするとかいうことは、全然別の問題のように考えております。
私の聴き方があるいは間違っていたのかも知れません。

○鈴木(周)委員
 私の質問の要旨があるいは悪かったために、そういう風な御答弁になったのかも知れません。
前文の信託という文字からいきますれば、弁護士に信託するということと、財産権に対する信託ということの問題まで波及して参ったのでありますが、この点に対しましては、逐条審議の場合、この前文と関連して信託という文字についてと、信託行為に付てとの現実なる最近における時勢から質問することにしまして、これで前文は止めます。

○芦田委員長 本田英作君

○本田委員
 私は、前文の一項第二項、第四項の冒頭に
「日本國民は、」 と書いてありますが、この「日本國民は、」 という文字を使うことが適当であるかどうかということに対しまして国務大臣に御問いしてみたいと思うのであります。
この上程されておりまする憲法草案は、現行憲法の改正案として上程されたものであるということは、当初政府委員の方の御説明によってよく承知しておるのであります。
しかるに、改正憲法がここに議会の議を経て公布せられる場合において、その改正憲法において日本国民という名前において前文を掲げるということは、現行ノ憲法の色々な御勅語其の他のものと対照して余りにかけ離れているような感じがするのであります。 その繋がりとして、「日本國民は、」 というような文字をもって、言い表すということは、多少適当でないのではないかというような感じが致すのであります。
申すまでもなく、この憲法は、国家の基本法でありまして、国家の行為を覊束する規則であることは申すまでもないことであります。
しかし、日本国民に対しての観念に対しましては、先般来金森国務相の御説明によって、この国民の中に天皇を含む国民であるということはよく承知しているのでありますが、この現行憲法の改正憲法である本草案の前文として突如として日本国民という文字をもって、前文を書き表わすということに対しては、どうも繋がりが面白くないように思うのであります。
かつ、この前文の中に日本の国民から世界の諸国民の公正と信義に委ねるというように、
諸国の国民に呼びかける節もあるのでございますが、しかるが故に政府は日本国の憲法でありますから、これを国家の一つの宣言なり理由として国家の名義を用ずして、日本国民の名を掲げてこの前文を表わされたのでありましょうか。その点をまず御聴きしたいと思うのであります。

○金森国務大臣
 まず初めに御尋ねの点、即ち日本の憲法は欽定憲法を現行憲法とする。
その憲法の第七十三条によって、この改正が出来る、という時に、この前文において、あたかも日本国民が憲法を作ると書く書き方は妥当を失するのではないかと御尋ねと思うのであります。
その御尋ねは、まことに事由あり大事な点を含んでいることと考えるのであります。
御承知の如ク、「ポツダム」 宣言及び、 「ポツダム」 宣言に基きまして、外国との広い意味の交換文書の示す所によりますれば、日本国の政治の根本形態は国民の自由なる意思決定によって決まるべきものとされております。

したがって、この憲法の改正案は日本国民の自由なる意思決定に依って定まるべきものであります。
したがって、この前文におきまして、この憲法は日本国民の自由なる意思決定によって出来ているということをはっきりと書きまして、この憲法が成立しました暁においては、十分国法上のはっきりした事柄として、これは国民の自由意思で決まったのだという風に内外に明かにする次第であります。
でありますから、この前文にこの憲法はどうして確定したか、日本国民が確定したのである。しかし、日本国民というものは、一つの声を出しえるものではない。どうして日本国民が発言をしたかといえば、正当に選挙せられた代表者を通じて議会において是が出来上ったということを書いているのでありまして、この書きました点に付きましては、それが必要であるということは自ら明瞭でああろうと思うのであります。

又今御尋ににありましたのは、憲法七十三条によれば欽定憲法の延長としてこの憲法の改正が出来るはずであるにも拘らず、これでは意思の違った日本国民が憲法の改正をするのだという所に非常に解すべからざる飛躍が現われて来るのではないか、そういう点であろうと思います。
その点も前からも、ある形において、申述べたことはありますけれども、現実にこの憲法が議会の議に付せられておりまするのは、明かに憲法七十三条に拠っております。しかたって、この前文の範囲より広い意義になるのであります。
天皇が御発案になる、この前文に書いてございません貴族院の議を経る、これも前文に書いてはございません。
それから、最後に天皇が御裁可になるこれも前文に書いてはございません。
多くの手続きの中の一部分だけをはっきり書いたということになる。すなわち、この議会の選ばれた議員によって決定する。つまり一部分だけを書いております。
その点において、当然としてみれば、やや真実にそぐわないという御疑いが起るかも知れません。けれども、この憲法はいわば過渡期――
過渡期と申しまするか、過去と将来とを繋ぐ途中のものでありまして、将来に向ってこの書き方の方が非常に的確にこの憲法の由来を理解せしむるに足ると思うのであります。
しかし、他面過去に向いましては、欽定憲法第七十三条と是との関係が、この前文だけでは、はっきりしておりません。そこに御疑いを御持ちになることは、当り前のことであります。
又、その疑いを持たないでこの憲法を審議することは出来ないと考えております。
しかし、これが現実に無事に議会の議を経て成立しまして、新たなる憲法改正となってゆきますときは、このまま出るのではなく、これの上諭文が付きまして――
憲法改正案が本当に改正になりました時に、天皇の勅命によって、憲法第七十三条の規定を遵律して、この憲法が世に生れ出たということを明かのする上諭文がついて、官報に載ることと思います。そこで、この上諭文を見れば、過去に対する繋がりがはっきりし、又将来に対する繋がりがはっきりするということで、その点の御疑念は恐ラク御晴し下さったのではないかと思すのであります。

次に第二の問題として、外国に話しかける時に、なぜ、「日本國家は、」 とやらないのかという御尋ねであります。それは、国家と国民とが本質的に違うわけではありません。

ここに、国民と申しましても、一人一人の人間をいうのではなくて、国民の集団を指しているのであります。この国民の集団と国家というものとの観念の差は、学問的にいえば色々ありましょう。
色々といっても大してありませんけれども、その間の知識を繋ぐ学理というものは色々の考えもありましょう。あるいは、領土というものは、国家なら考えられるけれども、国民には領土という考えは入っておりません。
けれども、意思表示の現実からいえば、国家に口があるわけでじゃありません。
国民が物を言うわけでありますから、国民がその心持をもって世界に平和を呼びかける方が、国家が法律的な組立を前提として呼び掛けまするよりも、的確に気持が映って来るのであります。
そこで、前文におきましては、「日本國民」 という方の言葉を取った訳であります。
つまり、実質に近い言葉で言い表すか、法律的な段階を経て国家という言葉で言い表すかという差があるのでありまして、もっとも敏感に世界に映って行く響きは、国民ノ声、そういった方が有効なように考えるわけであります。

○本田委員
 日本国民という名によって、内に国民全般に呼び掛け、さらに、外国に呼び掛けられる御趣旨は、分かりますが、まず、その日本国民という観念につきましては、先刻も申しまするように、本議場及ビ委員会の席上において、極力金森国務大臣が御説明になって、我々は国民という言葉の持つ観念を解しているのでございますけれども、なおかつ憲法の一条以下の条文を繰返して見る場合において、この国民というものが、金森さんの言われる広い意味の国民と解するのが適当であるか、天皇を含まない国民という、狭い意味の国民と解する方が適当かということに対しましては、ただちに判断がしにくいように思うのであります。
言われる意味は能く分かりますけれども、この新憲法の条章に現われた国民という言葉を、近き将来において、我が国の憲法学者が解する場合において、金森さんの言われるように、この国民という文字を解釈せられるかということに付きましては、多大の不安を抱くものであります。
結局、政府当局の方でしきりに国民というものを広い意味の国民とそう主張せられるのは、この一条以下に掲げられたる国民という用語自体からしますと、第一章には天皇という規定が厳として掲げられ、第三に国民の権利義務と、そう掲げられてありますから、何もこの条章の上の国民を、天皇を含む国民と解しなくても、この新憲法によって天皇制というものは護持せられているものと、私は解するのであります。
特に政府が力瘤を入れて、日本国民という観念の中には天皇を含むということを主張せられるのは、この前文に日本国民という文句を使われたがゆえに、そういうことに力瘤を入れられるのではないかと、私は、私が推則をしている訳であります。
ことに、先刻申しまする通りに、憲法は日本国家の基本法でありますから、その基本法の前文を飾る文句において、何も日本国民がその名によって呼びかけずとも、日本国、日本国が先刻申しました日本国民の意思によって、その正当に代表された代表者を通じて決意をしたということにして、少しも差しつかうぁないと思うのであります。
ことに、今日総ての国民は国家という枠の中にある国民でありますから、日本国民が外国の国民に呼び掛ける場合において、日本国家の名をもって外国の国家を通じてその国民に呼びかけるることによって、何も妨げないと思うのでありまするし第一項、第二項、第四項に代わるに、「日本國は、國會における正當に選擧された代表」――
文言に付いては多少修正を要する点がありますが、そういう風に前文を書いて行く方が、主権が何処に在るかというようなことも、ほぼそれによって新憲法の狙って居る所の所在を示し得ると思うのでありまして、その改正憲法が現行憲法に継続して生れ出た由来もよく分ると思うのであります。
「アメリカ」 の国民が新しく独立国家を羸ち得たという場合でありますならば、国民の名に依ってその国の憲法の趣旨を世界に呼びかけるというものも宜しいでありましょう。
又、「フランス」 国民がその共和政体を長き戦いの下において羸ち得た場合において、
国民の名によって世界の国民に呼び掛けるというものも宜からうと思うのでありますが、
現行憲法の改正憲法たるその日本憲法の前文において、突如として、「日本國民」 という文句を出して、そうして主権は君主に在りや、人民に在りやという論争を残して、将来の憲法学者その他に疑問を残しておくということは、私は面白くないと思うのでありまして、どうしてもこれは、「日本國憲法」「日本國は、」 ということで、日本の国家の名によってこの前文が起草せられる体になされた方が宜しいのじゃないかと思う次第であります。
重ねてくどいようでありますけれども、一応その点を御確めしたいと思います。

○金森国務大臣
 先程私が御答えを致しましたのは、その場合の 「日本國民」 という言葉に代わるに、「日本國」 という言葉をもってして、そうして例えば世界に平和を呼び掛けるという形を取っても、筋が通らぬ訳ではない。
そういうような趣旨をもって御答えを致しました。
すなわち、この憲法の前文の書き方は、一つの方法であります、御尋ねの中に現われました国をもって呼び掛けんとする行き方も、一つの方法であるということを申し述べました。
しかし、今の御尋ねを本に致しますれば、その二つの方法の中でこの憲法の前文が採ってありまする方法の方が、より良いのであります。
しかも、この方法によらなければ、現在の我々の心持を十分表わすに足らないということを、ここから御答えしようと思う訳であります。

 一体、国というものが何であるかということは、容易に答へがたいことでありましょう。
けれども、国民というものは、我々はありありと之を見得るものであります。
哲学的に言ったならば、国民というものは見えないものかも知れません。
しかし、国民各個の人間は見えるのでありまするから、その各個の人間を総合的に考えまする所の国民というものも、まず見える部類によるものと見てよろしかろうと思います。
それを従来は、特に国という方に着想を重く置いて、国がどうして出来て来るかという個々の国民の方に少なくとも重点を置かなかったきらいがあるのであります。
そこで、国家がある特定人の専横によって動いて行っても、それは、国という一ツのものえある。
例えば、外国でいえば、「ヒトラー」 がこれを導くということに何の不思議もない。
「ヒトラー」 の意思は、すなわち、国の意思でありう。そういうような一つの形而上学的な判断を加rて、それで満足することが出来た訳であります。あわせて、そういう考え方よりも、国というものは、国民全体が基本となって出来ているものである。ゆえに、国民の方に着想を置きまするならば、国のいわば独善的な働きというものは考えなれません。足の二本ある個々の人間に全部繋がりを持った国家というものがはっきり念頭にういて来るのであります。そういう
念頭にういて来るということをはっきりさせたいというのが今の日本の現状であり、この憲法に生れて来た所の由来ではなかろうか。
そこで、憲法は国民という所に重きを置きまして、この国民の心が繋がり繋がって一つの統合を成して居ります。
この統合を成している所に国及び国民の統合がはっきり現われるのであって、それを天皇が象徴として身をもって現わしておいでになる。そいいう風の着想に由来して行っているのであります。
かく考えて行きましてこそ本当に是から行く所の民主政治の個々の制度が基本の考えと表面的にもよく繋がりをもって国民の心に映って来るものと思うのであります。
今仰になりましたような説き方でも十分分かりますけれども、その間は多くの学問をもって繋がらなければなりません

この前文の書き方でいけば、国民がやるのだ。国民が世界に叫ぶんだということで、その出来上がってくる由来までも一遍にはっきり分かってしまいまして、非常に諸般の関係において適切なる結果をなすもののように思っているしだいであります。

   -----------------------------------------------------------

○憲法の改正案は日本国民の自由なる意思決定に依って定まるべきものであります。

○前文におきまして、この憲法は日本国民の自由なる意思決定によって出来ている。

○この憲法が成立しました暁においては、十分国法上のはっきりした事柄として、これは国民の自由意思で決まったのだという風に内外に明かにする。

○この前文にこの憲法はどうして確定したか、日本国民が確定したのである。

○どうして日本国民が発言をしたかは、正当に選挙せられた代表者を通じて議会において。

○意思の違った日本国民が憲法の改正をするのだという所に非常に解すべからざる飛躍が現われて来る。

○現実にこの憲法が議会の議に付せられておりまするのは、明かに憲法七十三条に拠っております。

○当然としてみれば、やや真実にそぐわないという御疑いが起るかも知れません。
 けれども、この憲法はいわば過渡期――
 過渡期と申しまするか、過去と将来とを繋ぐ途中のものでありまして、将来に向ってこの書き方の方が非常に的確 にこの憲法の由来を理解せしむるに足ると思うのであります。

○欽定憲法第七十三条と是との関係が、この前文だけでは、はっきりしておりません。
 そこに御疑いを御持ちになることは、当り前のこと。

○この憲法に生れて来た所の由来

○国民の方に着想を置きまするならば、国のいわば独善的な働きというものは考えられません。

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コメント 2

かぐや様

現代文に直していただいので、大変読みやすかったのです。本当にありがとうございました。ありがとうございます。そしてお疲れ様でした。

とても興味深く考える事が多くありました。

国民の定義と主権の定義。
言っている事はわかるのですが、やぱり抽象的と言うか、哲学的なのか現実を見て指しているのかわかりにくい部分が多々あり、しっくり行ってない部分があります。

私に理解力が無いんでしょうネーー;

天皇を含むのか含まないのか。皇室、天皇についてですね、枠があるのですからと思えるところがあるのですが…。
考えがまとまらずといったところです。

私自信、これらの事について一番理解しなければならない部分であるので何度も読み返したいと思います。

国体と言う単語も、自然と使っていたりする事があるのですが、もう一度定義を見つめてみたいとも思いました。

本来、というか、土台というか…。
現在の憲法へ改正?(と呼ぶべきでは無いと思いますが)主権を持たない国家日本の中での事ですので、他の感情も浮かんでは消えしながら読んだ部分もありました。

何度も読み返してみたい記事デス。ブックマークさせていただきました。
by かぐや様 (2011-04-07 20:14) 

元気

かぐや様、こんばんは。

いえ、分かり難いと思います。
選挙で選ばれた議員といえど言論統制下にあり、言葉を保身のためのオブラートで包んでいるからです。
(背景や当時の状況も知らねばチンプンカンプンであると思います)
下手なことを言うと公職(議員の職)を追放されるからです。
それでも主張したいことを主張しています。その記録です。
後世の人間である我々は、残された言葉から汲み取らねばならないものがあるのです。
だから、重要だと思われる言葉を○以下で箇条書きに抜き出してみました。
辻褄の合わないこと。が、ヒント(後世へのメッセージ)なのだと考えています。

議会で決定した。国民が選択した。

という、経過を占領軍は経る必要があったからです。
それは、占領国に対して新憲法を押し付けることが国際法上許されない(ハーグ条約違反)と知っていたからです。

実際、言論統制下でありましたから、(従来の日本的な価値観、国体を重んじる)おびただしい数の人々が公職を追放され、(国体を重んじないゆえに)追放された人々が帰り咲いています。
法曹界、教育界を支配したということです。

日本本来の伝統や文化(国体)を尊重する考えは認められなかったのです。
だから、松本国務大臣は公職追放されたのです。

この18分割にした記事では、順を追って解説を盛り込んでいます。
時代背景なども盛り込んでいます。
私の文章力の無さと資料の難しさ、先入観が理解を妨げているのだと思います。
全て、アップしてから、もう一度、分かりやすくまとめられたら良いのですが…

この文書(資料)をアップしているサイトは無いようです。
これほど重要な資料なのに…
多くの人が重要さに気付かないのか…
いいえ、難解なだけでなく、無関心なのだと思います。
無関心ほど、理解を妨げるものはありません。
この文書の先にあるのが、今の日本、現代社会です。
当時、懸念されたいたことが現実のものとなりつつあります。
仕組まれていた。ということです。

トモダチ作戦や思いやり予算も良いでしょう。
けれど、現実を踏まえた独立国としての正しい道を歩み始めない限り、日本は亡国の道に到るしかありません。

アメリカに隷属するだけではなく、独立国であることを前提とし、同盟国としての誇りと責務を持たねばならないと思います。
何より、国民に対して、責務を果たさねばならないと思います。
by 元気 (2011-04-07 21:31) 

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