「後期高齢者医療制度」 ~病院で死なないために~ 2/3 [日本の将来考]
まず、春山氏の主催する 「ハンディインターナショナル(HNI)」 の新構想の説明から入りましょう。
①日本の老いを支えるアシステッドナーシング 「終の棲家」
②キーワードは2階建てバス方式
③医療をコアとした地域ゾーン開発
④ロマンとソロバンの重要性
⑤目指すはナンバーワンそしてオンリーワン
(資料より引用)
さて、本題に入りましょう。
次からの記述は、講演会で伺ったことを、メモを元に書き起こしたものです。
国が二十年をかけて準備した、「後期高齢者医療制度」。
それは、「日本の常識は、世界の非常識」 といわれる日本において、世界に例を見ない素晴らしい新制度です。
医療制度の変節の度に、
「この国はおかしい」 という意識を持って、日本を見て来ました。
医療、介護の専門家は、「お金の流れを無視」 していたからです。
「ロマン」(夢) と、「ソロバン」(現実) を共に携えないと、破綻をきたします。
生まれてから死ぬまで。
身体の健康とは、「命の尊厳」 に係わることです。
さらには、どういう 「死」 を迎えるのか。
それは、「命の尊厳」 に係わることなのです。
病院で死にたいですか?
それとも、慣れ親しんだ住居で死にたいですか?
病院で死にたい人もいるかも知れません。
ですが、自宅で死にたいと考える人を病院に縛り付けることなく、支援する姿勢こそが、
「命の尊厳に添った死に方」 に必要なのではないでしょうか。
新制度が導入されて2ヶ月以上経ちました。
そろそろ、マスコミのバッシングも落ち着くころかも知れません。
説明不足の政府と、社会保険省の不信を招く対応には忸怩たる思いがあります。
東京巣鴨の高齢者にインタビューをして、
「老人を殺す気か!」
などと、言わせるマスコミと、マスコミに乗せられる高齢者。
高齢者の負担が減る分、孫子の世代に払わせる結果になっていること。
どれほどの自覚がマスコミや高齢者にあるのでしょうか。
孫子に払わせて平気な人品卑しい高齢者にはなりたくないものです。
また、払うことで生活が苦しくなる高齢者には、子ども達がその生活を支援すれば良いのです。
その支援する親の姿を見た孫たちが、高齢者に対する優しい気持ちを育み責任や義務を自覚する。
そんな自然な生活の連なりこそが、昔からの日本の姿であったはずです。
支援の無い高齢者には、生活保護という制度があります。
世界に例をみない素晴らしい国が日本なのです。
それでは、アメリカやヨーロッパではどうなのでしょうか。
デンマークでは、医療介護は無料です。
その代わり、非課税世帯(低所得層)などという観念はありません。
一律で所得税は50%です。
消費税は25%。さらに地方税やらいろいろ引かれるのです。
どれほどのお金が残るでしょうか。
日本ほど、生活保護ということで低所得層が守られている国はありません。
「日本の常識は世界の非常識」 だと、どうか自覚して下さい。
アメリカは無保険です。
自分で保険を買う国です。
自己負担で命と医療を買う国なのです。
「後期高齢者保険」 という制度が失敗したとしたら、運用の失敗であり、制度の失敗ではありません。
世界に類をみない、奇跡のような保険制度の恩恵を受けている国民。
それが日本人です。
その現行の制度が破綻することが予想されるために、
さらなる奇跡のような制度が考えらた。それが、「後期高齢者医療制度」 だと自覚して下さい。
失敗するとしたら、制度に欠陥があるのでなく、運用する側に欠陥があるのです。
昭和36年、昭和36年の国民皆保険という奇跡の制度が開始されました。
それから20年間は、高度経済成長を背景に、病床がどんどんと増えていきました。
その増えた病床をどうするか。
高齢者が入院し、寒い冬を迎える頃に退院するならば、ベットも空いているからと、
春まで病院で過ごすことを促したのが病院でした。
さらには、沢山の湿布や薬を処方したのも病院でした。
その負担は、いやおうなく国民に(現在の破綻という現実に繋がり)のしかかっていたのにです。さらに、
昭和48年、老人医療費は無料化されました。
この奇跡の制度は、経済の成長のなせるワザでありましたが、
現在では、将来に負担を先送りするという陰を落としてしまったのです。
アメリカの入院日数は日本よりもはるかに短い(1/4~1/5)のです。
ベットの数もはるかに少ないのです。(日本のベット数は、アメリカの4倍、ヨーロッパの3倍)
介護療養、介護病床というものを、外国ではやっていません。負担が大きいからです。
外国では、最高の医療で最短に出来るだけ負担を少なくすることが基本だからです。
日本の医療は、最高の機器設備を使い、低水準の医療が行われて出来るだけ(国に)負担をかける制度だということです。
だから、医療費(に対する負債額)が膨大になっていったのです。
安い治療費と払う際には、その何倍ものツケと子や孫に負担させているのだと、
思って、払うだけの覚悟が必要なのかもしれません。
日本の常識は世界の非常識。それを、どうか自覚して下さい。
「木を見て森を見ず」 では、ものごとはみえません。
どうか、全体、世界をも含めてご覧になり、自分が、日本がどう歩めば良いのか考えて下さい。
今は、ベストチャンスです。
ですが、それは、ラストチャンスなのかもしれません。
------------------------------------------
医療制度改革について、
参考になるサイト(栃木県のサイト)がありましたので、ご紹介しておきます。
http://www.pref.tochigi.jp/welfare/iryou/kenkouhoken/1183006317543.html
日本人が病院に行く回数は、ヨーロッパの3倍、アメリカの4倍だと言われています。
日本食は健康食だと言われています。
実は、日本食は、健康に悪いのでしょうか?
医療に対する考え方の違いが回数に現れているのだと思います。
定額で、いつでも誰でもが、医療を受けられる。
この素晴らしい奇跡のような制度を導入している国。
健康保険制度のある国。それが日本なのです。
しかし、それは、お客様が(負担に対して)痛みを感じないという負の部分も持っているのです。
病院は体を治して退院させるところです。
ところが、高齢者の入院は、死亡まで続く場合が多いのです。
それは、入院と名づけた介護医療だからです。
本来、介護と医療は別次元のものです。
病院は暮らす場所ではありません。
「療養型医療」 の必要性を感じずにはいられないのです。
医療と健全に決別するためには、身体を支える高齢者の住宅と介護が必要です。
職業選択の自由という名目の元に、医療を学びながら医療に従事しない者の現実を知るべきです。
国立大学の医学部の学生一人に対して国費は7000万円~8000万円が掛かっています。
私学の場合は、4000万円が掛かっているのです。
地方の医学部に入学する人の75%は県外から来ると言われています。
これからは、ライセンスを取るなら、医師として従事する義務を負うことも必要なのかもしれません。
今の高齢者の医療をどうするか考えるとき、2階建ての医療が必要なのでないかと考えています。
一階の部分では、誰でもが等しく受けられる医療。
二階の部分で、選択する医療です。
今の高齢者が、現役を退き、所得が低くなったとしても、有り余る財産を所有しているとしたら、
低所得として、保険料の減額や免除は認められるべきではないでしょう。
日本も、外国なみに、所得だけでなく、財産を踏まえて減額や免除を考えるべきなのです。
低所得層という言葉でくくる欺瞞に気がつくべきだと思います。
次の世代を見据えた論議と政策こそが必要なのだと思います。
皆が応分の負担を厭わないということが必要でしょう。
そういう姿を見せることも教育であると考えているからです。
超高齢化社会において、
まさに、ナンバーとオンリーワンを目指したきめ細やかな医療と介護が求められているといえます。
それは、自己責任、自己選択による医療と介護への転換でなのです。
①日本の老いを支えるアシステッドナーシング 「終の棲家」
②キーワードは2階建てバス方式
③医療をコアとした地域ゾーン開発
④ロマンとソロバンの重要性
⑤目指すはナンバーワンそしてオンリーワン
(資料より引用)
さて、本題に入りましょう。
次からの記述は、講演会で伺ったことを、メモを元に書き起こしたものです。
国が二十年をかけて準備した、「後期高齢者医療制度」。
それは、「日本の常識は、世界の非常識」 といわれる日本において、世界に例を見ない素晴らしい新制度です。
医療制度の変節の度に、
「この国はおかしい」 という意識を持って、日本を見て来ました。
医療、介護の専門家は、「お金の流れを無視」 していたからです。
「ロマン」(夢) と、「ソロバン」(現実) を共に携えないと、破綻をきたします。
生まれてから死ぬまで。
身体の健康とは、「命の尊厳」 に係わることです。
さらには、どういう 「死」 を迎えるのか。
それは、「命の尊厳」 に係わることなのです。
病院で死にたいですか?
それとも、慣れ親しんだ住居で死にたいですか?
病院で死にたい人もいるかも知れません。
ですが、自宅で死にたいと考える人を病院に縛り付けることなく、支援する姿勢こそが、
「命の尊厳に添った死に方」 に必要なのではないでしょうか。
新制度が導入されて2ヶ月以上経ちました。
そろそろ、マスコミのバッシングも落ち着くころかも知れません。
説明不足の政府と、社会保険省の不信を招く対応には忸怩たる思いがあります。
東京巣鴨の高齢者にインタビューをして、
「老人を殺す気か!」
などと、言わせるマスコミと、マスコミに乗せられる高齢者。
高齢者の負担が減る分、孫子の世代に払わせる結果になっていること。
どれほどの自覚がマスコミや高齢者にあるのでしょうか。
孫子に払わせて平気な人品卑しい高齢者にはなりたくないものです。
また、払うことで生活が苦しくなる高齢者には、子ども達がその生活を支援すれば良いのです。
その支援する親の姿を見た孫たちが、高齢者に対する優しい気持ちを育み責任や義務を自覚する。
そんな自然な生活の連なりこそが、昔からの日本の姿であったはずです。
支援の無い高齢者には、生活保護という制度があります。
世界に例をみない素晴らしい国が日本なのです。
それでは、アメリカやヨーロッパではどうなのでしょうか。
デンマークでは、医療介護は無料です。
その代わり、非課税世帯(低所得層)などという観念はありません。
一律で所得税は50%です。
消費税は25%。さらに地方税やらいろいろ引かれるのです。
どれほどのお金が残るでしょうか。
日本ほど、生活保護ということで低所得層が守られている国はありません。
「日本の常識は世界の非常識」 だと、どうか自覚して下さい。
アメリカは無保険です。
自分で保険を買う国です。
自己負担で命と医療を買う国なのです。
「後期高齢者保険」 という制度が失敗したとしたら、運用の失敗であり、制度の失敗ではありません。
世界に類をみない、奇跡のような保険制度の恩恵を受けている国民。
それが日本人です。
その現行の制度が破綻することが予想されるために、
さらなる奇跡のような制度が考えらた。それが、「後期高齢者医療制度」 だと自覚して下さい。
失敗するとしたら、制度に欠陥があるのでなく、運用する側に欠陥があるのです。
昭和36年、昭和36年の国民皆保険という奇跡の制度が開始されました。
それから20年間は、高度経済成長を背景に、病床がどんどんと増えていきました。
その増えた病床をどうするか。
高齢者が入院し、寒い冬を迎える頃に退院するならば、ベットも空いているからと、
春まで病院で過ごすことを促したのが病院でした。
さらには、沢山の湿布や薬を処方したのも病院でした。
その負担は、いやおうなく国民に(現在の破綻という現実に繋がり)のしかかっていたのにです。さらに、
昭和48年、老人医療費は無料化されました。
この奇跡の制度は、経済の成長のなせるワザでありましたが、
現在では、将来に負担を先送りするという陰を落としてしまったのです。
アメリカの入院日数は日本よりもはるかに短い(1/4~1/5)のです。
ベットの数もはるかに少ないのです。(日本のベット数は、アメリカの4倍、ヨーロッパの3倍)
介護療養、介護病床というものを、外国ではやっていません。負担が大きいからです。
外国では、最高の医療で最短に出来るだけ負担を少なくすることが基本だからです。
日本の医療は、最高の機器設備を使い、低水準の医療が行われて出来るだけ(国に)負担をかける制度だということです。
だから、医療費(に対する負債額)が膨大になっていったのです。
安い治療費と払う際には、その何倍ものツケと子や孫に負担させているのだと、
思って、払うだけの覚悟が必要なのかもしれません。
日本の常識は世界の非常識。それを、どうか自覚して下さい。
「木を見て森を見ず」 では、ものごとはみえません。
どうか、全体、世界をも含めてご覧になり、自分が、日本がどう歩めば良いのか考えて下さい。
今は、ベストチャンスです。
ですが、それは、ラストチャンスなのかもしれません。
------------------------------------------
医療制度改革について、
参考になるサイト(栃木県のサイト)がありましたので、ご紹介しておきます。
http://www.pref.tochigi.jp/welfare/iryou/kenkouhoken/1183006317543.html
日本人が病院に行く回数は、ヨーロッパの3倍、アメリカの4倍だと言われています。
日本食は健康食だと言われています。
実は、日本食は、健康に悪いのでしょうか?
医療に対する考え方の違いが回数に現れているのだと思います。
定額で、いつでも誰でもが、医療を受けられる。
この素晴らしい奇跡のような制度を導入している国。
健康保険制度のある国。それが日本なのです。
しかし、それは、お客様が(負担に対して)痛みを感じないという負の部分も持っているのです。
病院は体を治して退院させるところです。
ところが、高齢者の入院は、死亡まで続く場合が多いのです。
それは、入院と名づけた介護医療だからです。
本来、介護と医療は別次元のものです。
病院は暮らす場所ではありません。
「療養型医療」 の必要性を感じずにはいられないのです。
医療と健全に決別するためには、身体を支える高齢者の住宅と介護が必要です。
職業選択の自由という名目の元に、医療を学びながら医療に従事しない者の現実を知るべきです。
国立大学の医学部の学生一人に対して国費は7000万円~8000万円が掛かっています。
私学の場合は、4000万円が掛かっているのです。
地方の医学部に入学する人の75%は県外から来ると言われています。
これからは、ライセンスを取るなら、医師として従事する義務を負うことも必要なのかもしれません。
今の高齢者の医療をどうするか考えるとき、2階建ての医療が必要なのでないかと考えています。
一階の部分では、誰でもが等しく受けられる医療。
二階の部分で、選択する医療です。
今の高齢者が、現役を退き、所得が低くなったとしても、有り余る財産を所有しているとしたら、
低所得として、保険料の減額や免除は認められるべきではないでしょう。
日本も、外国なみに、所得だけでなく、財産を踏まえて減額や免除を考えるべきなのです。
低所得層という言葉でくくる欺瞞に気がつくべきだと思います。
次の世代を見据えた論議と政策こそが必要なのだと思います。
皆が応分の負担を厭わないということが必要でしょう。
そういう姿を見せることも教育であると考えているからです。
超高齢化社会において、
まさに、ナンバーとオンリーワンを目指したきめ細やかな医療と介護が求められているといえます。
それは、自己責任、自己選択による医療と介護への転換でなのです。
元気さん、おはようございます。
『春山 満』さんの書物は、私も愛読したことがありあすが、
本人の努力で、どうにでもできる。
自ら率先し、実行に移されている素晴らしい方で・・・。
その方の公演をご覧になられたんですか?
後期高齢者医療制度は、
私個人は、賛成しておりますが、
唯・・・政府の、
「後期高齢・・・の名前がいけなかったのか・・」
そんなフラフラ・・・した言行動と、しっかりした説明責任を果たしていないゆえの・・・国民反発を受けているんだと思います。(一部の老人から・・・)
しかし・・・世論調査でも、80%方は、賛成とありましたから・・。
いづれにしても
私の持論は、生まれて~直ぐ、70・80歳になったのではなく、
それまでの形成があるわけで・・・何もかにも税金に押し付けるのは
間違いだと思います。
自分の事は自分で・・・そろそろ自己責任の論理を働かせるべきだと思っています。
by reiko (2008-06-25 06:07)
こんばんは。
reikoさんは、春山氏の著作を読まれていたのですね。サスガですね。
私は、春山氏のことは、お顔も本も全く存じ上げませんでした。
その上、「後期高齢者医療制度」 に対しても無知でした。
今回、特別講演会に参加させていただく前に、少しだけ、「後期高齢者医療制度」 について、ネットで検索して勉強(?)させていただいたような体たらくでした。(恥)
>自己責任の論理
そうですね。
それが、日本人には、どうも、なかなかに難しいことなのですよね。
「医療と福祉は安価」 という概念が浸透していますから…
負担額の増大は、(今の)生活の不安と直接結びつくと… (世論の報道から)安直に考える方が多いように思うからです。
将来のために、今をどうするか。
現実問題として、
木(今の生活)を見て森(将来の生活)を考えないというのも適切ではありませんし、
木(自分の生活)を考えて、森(日本の負債)を考えないというのも適切ではありません。
大局を見る目と考え方が、日本人一人一人に求められているのだと思います。
日本人が、今の自分のことしか考えられないとしたら、莫大な負の遺産を子や孫に残すことになります。
今こそ、その自覚を持つべきときに来ているとのだと思います。
私は、先の参議院選挙で、民主党が大勝した際に、日本人を危うく感じました。
さらに、安倍首相が辞められたとき、本当に日本の行く末に深刻な不安を持ちました。
福田首相の数々の政策にも、やはりというか、危機感を覚えています。
そういった危機感を抱き、遅ればせでも軌道修正をし、将来を考えた政策と適切な政治の方向に導くために、国民一人一人の自覚が必要だと感じています。
国を動かすのは、やはり、国民です。
もう、国のエライ方に任せているだけでは、エライことになってしまう。
そんな、危機感を抱いています。
それから、マスコミの報道を信じていては、エライことになるとも感じています。(笑えない話ですね)
by 元気 (2008-06-25 23:54)