出土品から戦争語る [ニュース☆ヾ 何じゃらホイ?]
12月18日(木曜日)の読売新聞朝刊、地域(大阪)30面の記事です。
とっても気になったので、アップしておきたいと思います。
まずは、ごらんあれ。
府立泉大津高校で、特別授業が行われたそうです。
講師は、府立弥生文化博物館(和泉市)の学芸員の江浦洋さん。
この記事、何度読み返しても分からないことがあります。
ということは、何か隠してる。というか、誤魔化しています。
授業の進め方(記事)に論理の飛躍が見られるからです。
「戦後、米軍が連合軍兵士の遺体捜索のために製作したとみられ」
「氏名や死亡年月日が刻まれている」 認識票
↓
「日本で死んだ英国人捕虜の名前を刻んだ鉄製の認識票」
↓
横浜市の英連邦戦死者墓地の墓碑を確認
↓
捕虜を刺したとして裁かれたBC級戦犯を描いた映画「私は貝になりたい」
↓
クラスの37人全員に認識票を触らせた
↓
日本で多くの捕虜が(日本軍により)命を奪われたと説明
↓
亡くなった一人一人にも愛した家族がいたと語りかけた
日本軍の非道さを訴える道具として認識票が利用された気がします。
なぜなら、本来、生きている者が身につけるはずの認識票が、
戦後 米軍が 遺体捜索のために製作した認識票
死亡年月日が刻まれている からです。
特別教育を施した学校に問いたいです。
○捕虜を刺したとして、東京裁判でBC級戦犯として裁かれた映画 に触れても、
東京裁判の不当性を説かず、判決を肯定することが教育なのか?
○(本人の物ではないにも関わらず)クラスの37人全員に認識票を触らせることで、
「亡くなった一人ひとりに愛した家族がいたことに思いをはせてほしい」
と伝えている。
戦争の悲惨さを日本軍だけの責任にすりかえているのではないか?
○戦後、米軍が認識票がどういう目的で作ったのか、生徒に説明(理解させる努力を)したのか?
○212名、個々の認識票の持ち主の死因と亡くなった場所の確認をした上で、
それらの情報を生徒に伝えているのか?
○212名全員が日本で亡くなり、日本軍が殺害したという検証がされているのか?
教育の場で情に訴えることが悪いというのではありません。
(教える側が脚色することなく)事実を伝え、考えさせる力を付けることが教育なのではないですか。
加工された情報を鵜呑みにする習慣を付けることが教育ではないはずです。
戦勝国側からの押し付けられた歴史観を
考察検証することなく、そのまま受け入れて踏襲することは、
河野談話や村山談話を考察検証することなく踏襲することと同じです。
政治的な意図を考慮しないで踏襲することは、愚かなことです。
歴史とは、戦勝国の思惑、政治、国家間の利害とは分けて(削ぎ落とし)、
様々な資料を基に事実を浮かび上がらせるものであると思います。
戦後の思惑を重視し歴史観を歪めた結果、偏った歴史観を子ども達に伝えることは不当であると考えています。
昨今は、情報公開により、戦勝国側の機密文書も公開されております。
それらの資料を基に戦前、戦中を考察することは、時代の流れとしても正統なことです。
まさしく、歴史を守ることは、国防の要になりえるのです。
多くの外国人捕虜が、米軍による(日本本土への)爆撃で亡くなったと記憶しています。
死因や死亡場所の検証と公開こそが認識票の意味することとして重要なのではないでしょうか。
戦争は、悲惨で悲しい手段です。
勝った国が負けた国を戦後のルールで裁く行為に正当性を見い出すことは困難です。
認識票を教材に選ぶならば、
その認識票の製作目的と、
212名の死亡場所と死因を明らかにすることは必須でしょう。
事実の考察こそが歴史の勉強のはずです。
この授業を受けた高校生たちが、
自ら疑問を持ち、調べ、考える機会として欲しいと願っています。
暗記する(覚える)ことだけが勉強なのではなく、
疑問を持つ習慣を養い、知的好奇心を持ち、たくさんの資料をもとに考える力をつけること。
自由に考えることが出来る教育をして欲しいと願っています。
ちなみに、江浦洋、認識票で検索すると、ある論文(?)がヒットします。
『陸軍墓地が語る日本の戦争』 としてミネルヴァ出版から出版されているようです。
見出しを転記すると、
第Ⅱ部 十五年戦争と兵士の悲哀
第六章 死者の認識票と英連邦戦死者墓地(江浦 洋)
1 ジュリアの父
2 埋められた認識票
3 共伴遺物の考古学
4 死者の認識票
5 もう一つの外人墓地
6 英連邦戦死者墓地、そして旧真田山陸軍墓地
「4 死者の認識票」 には、興味をそそられます。
死因、死亡推定場所(発見場所)の特定がされているのでしょうか。
それとも、衝撃的な認識票の使い道が判明したのでしょうか…
英連邦戦死者墓地と旧真田山陸軍墓地の関係も気になります。
(2008.12.20追記)
amazon で注文しました。
その考察については、また、後日アップしたいと考えています。
とっても気になったので、アップしておきたいと思います。
まずは、ごらんあれ。
府立泉大津高校で、特別授業が行われたそうです。
講師は、府立弥生文化博物館(和泉市)の学芸員の江浦洋さん。
この記事、何度読み返しても分からないことがあります。
ということは、何か隠してる。というか、誤魔化しています。
授業の進め方(記事)に論理の飛躍が見られるからです。
「戦後、米軍が連合軍兵士の遺体捜索のために製作したとみられ」
「氏名や死亡年月日が刻まれている」 認識票
↓
「日本で死んだ英国人捕虜の名前を刻んだ鉄製の認識票」
↓
横浜市の英連邦戦死者墓地の墓碑を確認
↓
捕虜を刺したとして裁かれたBC級戦犯を描いた映画「私は貝になりたい」
↓
クラスの37人全員に認識票を触らせた
↓
日本で多くの捕虜が(日本軍により)命を奪われたと説明
↓
亡くなった一人一人にも愛した家族がいたと語りかけた
日本軍の非道さを訴える道具として認識票が利用された気がします。
なぜなら、本来、生きている者が身につけるはずの認識票が、
戦後 米軍が 遺体捜索のために製作した認識票
死亡年月日が刻まれている からです。
特別教育を施した学校に問いたいです。
○捕虜を刺したとして、東京裁判でBC級戦犯として裁かれた映画 に触れても、
東京裁判の不当性を説かず、判決を肯定することが教育なのか?
○(本人の物ではないにも関わらず)クラスの37人全員に認識票を触らせることで、
「亡くなった一人ひとりに愛した家族がいたことに思いをはせてほしい」
と伝えている。
戦争の悲惨さを日本軍だけの責任にすりかえているのではないか?
○戦後、米軍が認識票がどういう目的で作ったのか、生徒に説明(理解させる努力を)したのか?
○212名、個々の認識票の持ち主の死因と亡くなった場所の確認をした上で、
それらの情報を生徒に伝えているのか?
○212名全員が日本で亡くなり、日本軍が殺害したという検証がされているのか?
教育の場で情に訴えることが悪いというのではありません。
(教える側が脚色することなく)事実を伝え、考えさせる力を付けることが教育なのではないですか。
加工された情報を鵜呑みにする習慣を付けることが教育ではないはずです。
戦勝国側からの押し付けられた歴史観を
考察検証することなく、そのまま受け入れて踏襲することは、
河野談話や村山談話を考察検証することなく踏襲することと同じです。
政治的な意図を考慮しないで踏襲することは、愚かなことです。
歴史とは、戦勝国の思惑、政治、国家間の利害とは分けて(削ぎ落とし)、
様々な資料を基に事実を浮かび上がらせるものであると思います。
戦後の思惑を重視し歴史観を歪めた結果、偏った歴史観を子ども達に伝えることは不当であると考えています。
昨今は、情報公開により、戦勝国側の機密文書も公開されております。
それらの資料を基に戦前、戦中を考察することは、時代の流れとしても正統なことです。
まさしく、歴史を守ることは、国防の要になりえるのです。
多くの外国人捕虜が、米軍による(日本本土への)爆撃で亡くなったと記憶しています。
死因や死亡場所の検証と公開こそが認識票の意味することとして重要なのではないでしょうか。
戦争は、悲惨で悲しい手段です。
勝った国が負けた国を戦後のルールで裁く行為に正当性を見い出すことは困難です。
認識票を教材に選ぶならば、
その認識票の製作目的と、
212名の死亡場所と死因を明らかにすることは必須でしょう。
事実の考察こそが歴史の勉強のはずです。
この授業を受けた高校生たちが、
自ら疑問を持ち、調べ、考える機会として欲しいと願っています。
暗記する(覚える)ことだけが勉強なのではなく、
疑問を持つ習慣を養い、知的好奇心を持ち、たくさんの資料をもとに考える力をつけること。
自由に考えることが出来る教育をして欲しいと願っています。
ちなみに、江浦洋、認識票で検索すると、ある論文(?)がヒットします。
『陸軍墓地が語る日本の戦争』 としてミネルヴァ出版から出版されているようです。
見出しを転記すると、
第Ⅱ部 十五年戦争と兵士の悲哀
第六章 死者の認識票と英連邦戦死者墓地(江浦 洋)
1 ジュリアの父
2 埋められた認識票
3 共伴遺物の考古学
4 死者の認識票
5 もう一つの外人墓地
6 英連邦戦死者墓地、そして旧真田山陸軍墓地
「4 死者の認識票」 には、興味をそそられます。
死因、死亡推定場所(発見場所)の特定がされているのでしょうか。
それとも、衝撃的な認識票の使い道が判明したのでしょうか…
英連邦戦死者墓地と旧真田山陸軍墓地の関係も気になります。
(2008.12.20追記)
amazon で注文しました。
その考察については、また、後日アップしたいと考えています。
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