『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』 マルティン・ニーメラーによる詩 [草莽崛起]
随分前(10年以上前?)にNHKでこの詩を聞いたとき、頭を殴られたようなショックを受けました。
それから、時を経ても、忘れることが出来ない詩です。
いつも、私に、
「大丈夫なの?」
そう、問いかけられているような気がします。
あまりにも有名ですが、ご存知ない方もいらっしゃるかも知れませんので、転記します。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』 マルティン・ニーメラー
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、
私は自分が多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。
私は前よりも不安だったが、
社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。
私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。
何も出来なくなる前に、遅きに失する前に最悪の事態を想像して対応する。
悲観的になる必要はありませんが、楽観視するほど世の中は善意に溢れてはいない。
そう思います。
自分が善意の人であったとしても大きな流れには飲み込まれます。
大きな流れになる前に出来ることをするしかありません。
「空気を読む」 とは、何もしないことです。
何もしないということは、暗黙に了解したことと同じです。
今の状況を受け入れるしかないとしても、何か出来ることはあるはずです。
今は、(自分で)調べるということが可能です。
色々な情報を収集し、吟味して(自分の頭で)考える。
そして、出来ることをする。
子孫のために。
それが大人の務めではないでしょうか。
それから、時を経ても、忘れることが出来ない詩です。
いつも、私に、
「大丈夫なの?」
そう、問いかけられているような気がします。
あまりにも有名ですが、ご存知ない方もいらっしゃるかも知れませんので、転記します。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』 マルティン・ニーメラー
迫害ターゲットグループを徐々に拡大していくナチ党に恐怖を感じつつも、
「自分には関係ない」 と見て見ぬふりをしていたら、自分がいざそのターゲットとなったときには、
社会には声を上げることができる人は誰もいなくなっていた、というもの。
強いメッセージ性を持つため、政治への無関心層へ政治への呼びかけとして世界の多くの場所で引用されてきた。
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、
私は自分が多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。
私は前よりも不安だったが、
社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。
私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。
– 『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』,
何も出来なくなる前に、遅きに失する前に最悪の事態を想像して対応する。
悲観的になる必要はありませんが、楽観視するほど世の中は善意に溢れてはいない。
そう思います。
自分が善意の人であったとしても大きな流れには飲み込まれます。
大きな流れになる前に出来ることをするしかありません。
「空気を読む」 とは、何もしないことです。
何もしないということは、暗黙に了解したことと同じです。
今の状況を受け入れるしかないとしても、何か出来ることはあるはずです。
今は、(自分で)調べるということが可能です。
色々な情報を収集し、吟味して(自分の頭で)考える。
そして、出来ることをする。
子孫のために。
それが大人の務めではないでしょうか。
まさに今の平和ボケした日本国民の状態ですね。
by genn (2009-10-03 13:59)