地下鉄で… 一駅の出来事。大阪のオバチャン! [日記]
先日、地下鉄で、すごいオバチャン(年配の女性)と遭遇しました。
私はイスの左端に座っていました。
私の右隣りには人一人分のスペースが空いてました。
その横は、若い男性。足を広げてイヤホンを付けていました。
駅で乗り込んできたオバチャン。
真っ直ぐに、その空席に向かって歩いて来たのですが…
「足、邪魔! どけて! 座るから! 足邪魔!!」
と言いながら、自分の足で若い男性の広げた足をズンズンと押し、座りました。
コトはそれだけでは終わりませんでした。
「あんた。足広げてたら邪魔やねん!」
「あんた。そんなことも親から教えてもらわんかったんか!?」
「親が悪いな! そんなことも教えんかった親が悪い!」
「親が教えんから、足広げて座っても平気やねんな!」
「そんなことも教えられへん親やったら、人の迷惑も考えられへんやろな!」
「親が悪いから子も悪くなるんやな!」
:
ずっと、コゴトを言い続けています。止まることなく。一方的に。
若者は、一言も返しません。
(若者がいつ切れるか… ドキドキ… )
そっと、若者の様子を見ました。
目をつむって寝ています。(聞こえないフリ?)
けれど、足は広げたままです。
「足を広げて座ってたら、邪魔だって言ってるんや!」
:
オバチャンは、座ったまま自分の足で若者の足をドンドンと押しています。
(若者がいつ切れるか… ドキドキ… )
次ぎの駅に着いた途端。
「降りよ!」
オバチャンは座席から飛び上がるように立ち上がり出て行きました。
若者もゆっくりと立ち上がり、何事も無かったように降りて行きました。
同じ駅で私も降りたのですが…
オバチャンの姿は見えず、ゆっくりと歩いていく若者の後姿が見えました。
(ホント、若者がキレなくて良かった)
たった一駅の出来事です。時間にしたら、2分か3分?
けれど、最後まで足を閉じることの無かった若者。
そして、最後まで口を閉じることの無かった活きのいいオバチャン。
乗り合わせた赤の他人に、説教をすることも、声を掛けることもない。それが普通の車内です。
女性がお化粧をしていたことを咎めた年配の女性を電車と接触させて重症を負わせた事件もありました。
車内での痴漢行為や暴力行為を居合わせた人々は、見て見ぬふりをしていたという記事もありました。
関わりになることで傍観者が被害者になる。
けれど、傍観者は加担者なのかも知れません。
人を変える。
とても難しいことだなぁと思いました。
------------------------------------------------------------
社会が育てる。
今日、TVで私立高校無償化を大阪府の橋下知事が発表してましたが…
お勉強が出来ること。(行政が)お金を負担すること。
親や社会が負担していることに対して、どのように還元(感謝し恩返し)するか…
個人の人権が尊重され、権利だけを主張し、他者や社会への還元を考えない。
自分さえ良ければ他人なんてどうでも良い。
サービスをしてくれるから受けるだけ。
と、考える人だらけになったら…
自己主張する人だらけの、個人の集合体(寄せ集め)になるような気がします。
一期一会というより、車内のように、たまたま居合わせた人々の集まりです。
それでは、社会の一員としての意識が薄れてしまうような気がします。
生活や教育が当たり前になることで、自分一人で何でも出来ると錯覚する日本人が増えないか…
気になります。
私はイスの左端に座っていました。
私の右隣りには人一人分のスペースが空いてました。
その横は、若い男性。足を広げてイヤホンを付けていました。
駅で乗り込んできたオバチャン。
真っ直ぐに、その空席に向かって歩いて来たのですが…
「足、邪魔! どけて! 座るから! 足邪魔!!」
と言いながら、自分の足で若い男性の広げた足をズンズンと押し、座りました。
コトはそれだけでは終わりませんでした。
「あんた。足広げてたら邪魔やねん!」
「あんた。そんなことも親から教えてもらわんかったんか!?」
「親が悪いな! そんなことも教えんかった親が悪い!」
「親が教えんから、足広げて座っても平気やねんな!」
「そんなことも教えられへん親やったら、人の迷惑も考えられへんやろな!」
「親が悪いから子も悪くなるんやな!」
:
ずっと、コゴトを言い続けています。止まることなく。一方的に。
若者は、一言も返しません。
(若者がいつ切れるか… ドキドキ… )
そっと、若者の様子を見ました。
目をつむって寝ています。(聞こえないフリ?)
けれど、足は広げたままです。
「足を広げて座ってたら、邪魔だって言ってるんや!」
:
オバチャンは、座ったまま自分の足で若者の足をドンドンと押しています。
(若者がいつ切れるか… ドキドキ… )
次ぎの駅に着いた途端。
「降りよ!」
オバチャンは座席から飛び上がるように立ち上がり出て行きました。
若者もゆっくりと立ち上がり、何事も無かったように降りて行きました。
同じ駅で私も降りたのですが…
オバチャンの姿は見えず、ゆっくりと歩いていく若者の後姿が見えました。
(ホント、若者がキレなくて良かった)
たった一駅の出来事です。時間にしたら、2分か3分?
けれど、最後まで足を閉じることの無かった若者。
そして、最後まで口を閉じることの無かった活きのいいオバチャン。
乗り合わせた赤の他人に、説教をすることも、声を掛けることもない。それが普通の車内です。
女性がお化粧をしていたことを咎めた年配の女性を電車と接触させて重症を負わせた事件もありました。
車内での痴漢行為や暴力行為を居合わせた人々は、見て見ぬふりをしていたという記事もありました。
関わりになることで傍観者が被害者になる。
けれど、傍観者は加担者なのかも知れません。
人を変える。
とても難しいことだなぁと思いました。
------------------------------------------------------------
社会が育てる。
今日、TVで私立高校無償化を大阪府の橋下知事が発表してましたが…
お勉強が出来ること。(行政が)お金を負担すること。
親や社会が負担していることに対して、どのように還元(感謝し恩返し)するか…
個人の人権が尊重され、権利だけを主張し、他者や社会への還元を考えない。
自分さえ良ければ他人なんてどうでも良い。
サービスをしてくれるから受けるだけ。
と、考える人だらけになったら…
自己主張する人だらけの、個人の集合体(寄せ集め)になるような気がします。
一期一会というより、車内のように、たまたま居合わせた人々の集まりです。
それでは、社会の一員としての意識が薄れてしまうような気がします。
生活や教育が当たり前になることで、自分一人で何でも出来ると錯覚する日本人が増えないか…
気になります。
日常に慣れてしまっていると、そのオバチャンが「変」に見られてしまうのが現実なんですよね。残念ながら。
どちらかというと、私も黙っては居れない性格なのであまりにも非常識な輩には注意するのですが、妻には「止めろ」と言われます。元気さんも心配した様に「相手がキレたら何をするか分からない」と。
こんな事も有りましたし…(TB送ります)
http://mac.blog.so-net.ne.jp/2009-02-07
帰宅後、妻に話した所、「子供が仕返しされたらどうするんよ!」と思い切り叱られた訳ですが…(苦笑)
難しいもんですね。
by すけろく (2010-12-16 10:02)
最初はカッコイイおばちゃんと思ったけど、すっと文句言い募られると・・・複雑…。
びしっと一言言って後無言・・だったら(かっこいい~)って思っちゃうかも。
たとえ相手が本当に寝てたか、無視していたかで結局おばちゃんの注意は無視されたとしても…。
なんだかどっちも独り相撲しているようで想像しただけでもなんか隙間風に当たったようなうすら寒い気持ちになります。
人の言葉が言葉として相手に全然届かない不気味さみたいなもの。
逆切れも怖いけど、この状況もシニカルに怖い。
by izunosuke (2010-12-16 23:27)
すけろくさん、おはようございます。
>仕返しされたらどうするんよ!
自らの行動を顧みて恥じることがない。
(道理をわきまえない人と)関わることで被る逆恨み。
怖さがあります。
そして、道理を伝えることは、至難の業です。
恥の文化が廃れては、日本の美徳も廃れます。
自らの都合でだけ他者を受け入れる風潮。
経済(損得)に重きを置いて突っ走って来たこと、
倫理や道徳を置き去りにしたツケが回って来ている気がしています。
自分のこと(得、主張)だけ。
他人のこと(損)はどうでもよい。
恥の文化の根底は、他者が被る被害(損)を恥じることだったはず。
空気のように、親の背中(社会の風潮)から覚えるものだからこそ、伝承の難しさを思います。
情けは人のためならず。
やはり、諺には、智恵が詰まってますね。^_^;
by 元気 (2010-12-17 09:36)
izunosuke さん、おはようございます。
>逆切れも怖いけど、この状況もシニカルに怖い。
怖いです。とても。
間違っていなくても、伝え方の難しさがあります。
北風と太陽の話もありますが、押すだけでもいけません。
けれど、ならば、太陽にあたる行為は何なのか…
どうすれば、人の行動を正せるのか。
難しいです。
相手の面目を潰さないことも大切です。
非難することで潰される面目。
若者の逆切れを心配したのは、
若者だけでなく、若者の親の面目さえ潰しているからです。
>人の言葉が言葉として相手に全然届かない不気味さみたいなもの。
引き戸を押している不気味さのような…
伝えることは、難しいですね。
伝えるためには、伝わる言葉を使わねばなりません。
言葉は、言霊ですから大切に使わねばなりません。
自分を変えることが出来ないのに、他人を変えることなど出来ませんから…
自らの襟を正すことから始めないといけないのだと、改めて思いました。(汗)
by 元気 (2010-12-17 10:00)
こ、これはすごい光景ですね!
都内の地下鉄だったら、周囲の人が非常ボタンを押して、駅員がとんでくる場面でしょうか??
関東の人は、ずばずば、ものを言わないので、こういったことになったら、もはや「事件」です(汗)。
習慣やその人自身のやり方・正しいと思っていることを変えるのは、学校の先生や親戚からの辛口のアドバイスでもなかなか受け入れられるものではありません。
良い習慣や、周囲の人の意見を拝聴させていただく、という態度は、やっぱり親が、子供時代に身につけさせておかないと、あとから身につくものではないんじゃないかな・・と思いました。
by しおん (2010-12-17 14:31)
しおんさん、こんばんは。
>関東の人は、ずばずば、ものを言わないので、こういったことになったら、もはや「事件」です(汗)。
私の隣席に座ってましたから、超ドキドキしました。
関西でも、これだけの言動をする人と遭遇したのは初めてです。
一駅で降りておられるのですが、
私なら、座らないです。(汗)
若者は、一人でしたし、強気な感じでは無かったです。
だから、もしかしたら、言い方によっては、足も閉じたかも知れません。
批判するだけでは、正せないことも多いのかも知れませんね。
子育ても社会も似通っているのかも知れません。
政治家(社会)を変えるには、批判だけではダメだということかも。
やはり、我々が変わらなければならない気がしています。
ちなみに、私なら…
「ごめんなさい。こちら、座っても良いですか?」
と、まず、声を掛けます。
それは、私が座るために若者に動いてもらいたいからです。
それに、若者に声を掛けることで、他の方が席を譲ってくれるかも知れませんよね。
(先日の場合も、私が席を立って譲ることも出来たのです)
今回、年配の女性も礼儀を欠いていたと思います。
もしかしたら、きちんと声を掛ければ、気付いて足は閉じてくれたかも知れません。
足を閉じて、少し寄って下さればゆったり座れます。
座ったら、お礼を言います。
「ありがとう。ごめんなさいね。おかげで、ゆったりと座れたわ」
若者は、自分が足を開いていたけれど、閉じたことで感謝される気持ち良さを味わったはずです。
周りも安堵したはずです。
押し付けるだけでなく、礼儀を尽くすことで、気持ちよい(役に立つ)という体験をすることが大切だと思います。
家庭の躾だけでは出来ないことは、社会が教えなければなりません。
それは、社会の一員である我々の役割なのかも知れませんね。
地下鉄車内の出来事から、色々と考えてしまいました。
by 元気 (2010-12-18 00:31)