『妹の恋人』 1993年 [映画]
ギャオにて鑑賞しました。30歳の頃のジョニー・デップが見られます。
サム役のジョニー・デップが素晴らしいです。
ジョニーには、こんな一風変わった現実離れしたような役がよく似合います。
サムが何かを考えているようなシーンでは、
サムの目が、見られてる者の心に直接語りかけているような気がします。
(だからこそ苛立ち、だからこそ癒される?)
目は、心の窓だとかいわれますから、
ジッと、こんな目で見つめられたら…
自分の愚かさ、汚さを見られているような気になります。
だからこそ、サムに対峙することは、自分自身と向き合うことになるような気がするのです。
自分の世界に閉じこもっていたジーン。
兄の手には負えないからと、施設に入れることを勧められています。
ジーンは、サムと出会うことで、初めて真っ直ぐに自分を見る目に出会ったのだと思います。
厄介者、危険人物、理解不可能な者として見る目ではなく、
ありのままの自分を受け入れてくれる人(サム)に出会ったから、
ジーンは、(サムに)恋をしたのです。
サムだって、そうでした。
字の読み書きも出来ない者、厄介者として野良犬のように扱われていたサムが、
一人の人間として真っ直ぐに向き合ってくれる相手(ジーン)に出会ったのです。
それは、掛け替えの無い存在との出会いであり、至上の喜びだったのです。
それが、二人の出会いと恋でした。
恋は、心が閉じていては出来ません。
兄のベニーがそうでした。恋する心を押し殺していました。
恋が出来ない事情。それは、ジーンがいるから。ジーンを守らなくてはならないから。
ジーンを大切に思う気持ち。
それは、ベニーを押しつぶしそうなくらい重い思いでした。
兄にとって事故で亡くした両親に代わって妹を守ることは必須だったのです。
ルーシー役のジュリアン・ムーアも秀逸です。
賢さ大胆さと色気。女としてのプライドを見事に表現していました。
ルーシーは、とても素敵な存在でした。
ルーシーのモノゴトを見る目の確かさには、脱帽です。
妹を思うあまりに閉ざされていた兄の心を開いたのもサムでした。
強引にこじ開けるのではなく、自ら開けさせたのです。
自ら閉じていた心は、自らによってしか開かないからです。
この映画の素晴らしいところです。
サムの目。眼差し。行為。しぐさ…
それは、見る者を和ませる天性の才能でした。
それは、本当に綺麗(オトコマエ!)で素晴らしい才能でした。
それは、自分の心と向き合う機会だったのです。
自分と真剣に向き合ってくれる存在を得て、恋によって人は成長するんだなと、
優しくなれるんだなと… そんな風に思える映画でした。
それからそれから、小道具が洒落ています。
アイロン、テニスのラケット、帽子…
サムにかかれば何だって魔法の道具みたいになるところが…
発見が一杯、目からウロコな素敵な映画でした。
サム役のジョニー・デップが素晴らしいです。
ジョニーには、こんな一風変わった現実離れしたような役がよく似合います。
サムが何かを考えているようなシーンでは、
サムの目が、見られてる者の心に直接語りかけているような気がします。
(だからこそ苛立ち、だからこそ癒される?)
目は、心の窓だとかいわれますから、
ジッと、こんな目で見つめられたら…
自分の愚かさ、汚さを見られているような気になります。
だからこそ、サムに対峙することは、自分自身と向き合うことになるような気がするのです。
自分の世界に閉じこもっていたジーン。
兄の手には負えないからと、施設に入れることを勧められています。
ジーンは、サムと出会うことで、初めて真っ直ぐに自分を見る目に出会ったのだと思います。
厄介者、危険人物、理解不可能な者として見る目ではなく、
ありのままの自分を受け入れてくれる人(サム)に出会ったから、
ジーンは、(サムに)恋をしたのです。
サムだって、そうでした。
字の読み書きも出来ない者、厄介者として野良犬のように扱われていたサムが、
一人の人間として真っ直ぐに向き合ってくれる相手(ジーン)に出会ったのです。
それは、掛け替えの無い存在との出会いであり、至上の喜びだったのです。
それが、二人の出会いと恋でした。
恋は、心が閉じていては出来ません。
兄のベニーがそうでした。恋する心を押し殺していました。
恋が出来ない事情。それは、ジーンがいるから。ジーンを守らなくてはならないから。
ジーンを大切に思う気持ち。
それは、ベニーを押しつぶしそうなくらい重い思いでした。
兄にとって事故で亡くした両親に代わって妹を守ることは必須だったのです。
ルーシー役のジュリアン・ムーアも秀逸です。
賢さ大胆さと色気。女としてのプライドを見事に表現していました。
ルーシーは、とても素敵な存在でした。
ルーシーのモノゴトを見る目の確かさには、脱帽です。
妹を思うあまりに閉ざされていた兄の心を開いたのもサムでした。
強引にこじ開けるのではなく、自ら開けさせたのです。
自ら閉じていた心は、自らによってしか開かないからです。
この映画の素晴らしいところです。
サムの目。眼差し。行為。しぐさ…
それは、見る者を和ませる天性の才能でした。
それは、本当に綺麗(オトコマエ!)で素晴らしい才能でした。
それは、自分の心と向き合う機会だったのです。
自分と真剣に向き合ってくれる存在を得て、恋によって人は成長するんだなと、
優しくなれるんだなと… そんな風に思える映画でした。
それからそれから、小道具が洒落ています。
アイロン、テニスのラケット、帽子…
サムにかかれば何だって魔法の道具みたいになるところが…
発見が一杯、目からウロコな素敵な映画でした。
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