ヒキコモリ考 「殻」考 [エッセー]
夏バテではありません。(夏バテの経験は無いのです)
ですが、毎日、眠いです。
どこにも行かず、ご飯も作らず、寝ていたい衝動に駆られます。
布団に潜り込んで、布団の端を巻き込んで、剥がされないようにしたいという衝動にかられます。
(私の場合、単にグータラだという指摘は… 図星です)
蟄居という言葉もあります。
家にトジコモルということです。
先の記事で、ナベアツさんの奥様を取り上げましたが、
「深窓の麗人」 という言葉もあるくらいですから…
それで生活出来る(食べれる)なら、ちょっと… 憧れます。
(私は、お邸暮らしでもなく、麗人でもありません。それが、残念だわん)
引っ込みじあんであったり、オウチがとっても好きだったり…
家でやることがイッパイ(家事も立派な仕事です!)あるのかもしれません。
もしかしたら、他人が恐いのかもしれません。
やたら干渉されたり… かといって、無視されるのも辛いです。
余談ながら、夏目漱石の、『草枕』 より引用転記。
智に働けば角が立つ。
情に棹せば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角にこの世は住みにくい。
そう、この世は住み難いです。
少しでも住み安くするために、日夜(うそ)頑張っている(ウソ)私ですらそう思うのです。
だから、
ちょびっとでも、ほんの少しでも、将来の日本のために何が出来るのか考えたいものです。
そんな行動をしたいものです。(ホント)
自分の殻に閉じこもるのか、
家という殻に閉じこもるのか、
地域という殻に閉じこもるのか、
国という殻に閉じこもるのか…
はたまた、会社という殻に閉じこもるのか、
社会という殻に閉じこもるのか…
「殻」 ですね。
殻があるということは、(殻によって)守られているということなんです。
ナベアツさんの奥様の場合は、ナベアツさんに守られている。
もちろん、ナベアツさんは、家に帰れば、奥様に守られているのだと思います。
国もそうです。社会もそうです。
ルールというものを守ることによって、色々な考えの人々の集合がバランスがとれる(はみ出さない)。
ですが、そのルールが、大衆の幸福を考えてでなく、一部の人の幸福に限定したものであるならば…
そこには、不公平感や不満がつのります。
余談ながら、
中国がチベットやウイグルにしていることは、
チベットやウイグルの方々の幸福を考えてというよりは、中国人(漢民族)の首脳陣の幸福の追求のような気がしています。
その扱いに対して、テロとみなされる抵抗をするか、同化する(従う)かは、各々の考えることという意味では同じです。
ただ、これだけ情報社会となり、色々と伝え聞くこともあるとすれば、黙っておけない部分もあるわけです。
絶対安全地帯である(?)ブログを通して、意見や情報を発信することも可能です。
そうやって、もし、少しでも世の中が生きやすくなれば良いなと… 考えています。
だって、自分だけが良くなる(幸せになる)ことは無いはずだからです。
日本の社会を住みやすくするのは… 日本人です。
中国やアメリカが頑張って良くしてくれるのではありません。
もちろん、中国やアメリカを無視すれば良いというのでもありません。
それは、日本は世界の国のヒトツだからです。
自分が、世界の人々の中の一人であることと同じです。
例えば、アメリカをよくするのは、アメリカ人の仕事(努めや責任)でしょう。
外国人は、内政干渉にならないように気をつけながら…
遺憾だとか配慮を望むとか… 人道的な、そんな意思表示しか出来ないですよね。
なぜなら、自国をどうするかの決定権は、あくまでも、その国の国民にあるからです。
税金を払っているかどうかでなく、(収入なくても、子どもも高齢者も国民です!)
その国に帰属し、その国を(自分の都合の良いようにでなく)良くしたいと思っているかどうか…
結局は、自分自身が試されている気がしています。
誰が見ていなくとも、訴えられなくても、オテント様は見ていなさる。んですよ! ね!!
だから、ヒキコモリを考えるとき、
自分の帰属する殻の一番外枠との距離が社交性(外交)なのだと、思います。
内と外。その行き来なのかも知れません。
決まったルールを基にした生活って… (人は欲張りだから)ツマンナイ気がします。
だから、(変化を求めて)殻から抜け出るときが来るのだと… 思います。
はたして、私は、布団から抜け出て、外の世界へと飛び出していくわけです。
あ~、日本人で良かったぁ~♪
と、思いたいです!
今も、これからも。
ですが、毎日、眠いです。
どこにも行かず、ご飯も作らず、寝ていたい衝動に駆られます。
布団に潜り込んで、布団の端を巻き込んで、剥がされないようにしたいという衝動にかられます。
(私の場合、単にグータラだという指摘は… 図星です)
蟄居という言葉もあります。
家にトジコモルということです。
先の記事で、ナベアツさんの奥様を取り上げましたが、
「深窓の麗人」 という言葉もあるくらいですから…
それで生活出来る(食べれる)なら、ちょっと… 憧れます。
(私は、お邸暮らしでもなく、麗人でもありません。それが、残念だわん)
引っ込みじあんであったり、オウチがとっても好きだったり…
家でやることがイッパイ(家事も立派な仕事です!)あるのかもしれません。
もしかしたら、他人が恐いのかもしれません。
やたら干渉されたり… かといって、無視されるのも辛いです。
余談ながら、夏目漱石の、『草枕』 より引用転記。
智に働けば角が立つ。
情に棹せば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角にこの世は住みにくい。
そう、この世は住み難いです。
少しでも住み安くするために、日夜(うそ)頑張っている(ウソ)私ですらそう思うのです。
だから、
ちょびっとでも、ほんの少しでも、将来の日本のために何が出来るのか考えたいものです。
そんな行動をしたいものです。(ホント)
自分の殻に閉じこもるのか、
家という殻に閉じこもるのか、
地域という殻に閉じこもるのか、
国という殻に閉じこもるのか…
はたまた、会社という殻に閉じこもるのか、
社会という殻に閉じこもるのか…
「殻」 ですね。
殻があるということは、(殻によって)守られているということなんです。
ナベアツさんの奥様の場合は、ナベアツさんに守られている。
もちろん、ナベアツさんは、家に帰れば、奥様に守られているのだと思います。
国もそうです。社会もそうです。
ルールというものを守ることによって、色々な考えの人々の集合がバランスがとれる(はみ出さない)。
ですが、そのルールが、大衆の幸福を考えてでなく、一部の人の幸福に限定したものであるならば…
そこには、不公平感や不満がつのります。
余談ながら、
中国がチベットやウイグルにしていることは、
チベットやウイグルの方々の幸福を考えてというよりは、中国人(漢民族)の首脳陣の幸福の追求のような気がしています。
その扱いに対して、テロとみなされる抵抗をするか、同化する(従う)かは、各々の考えることという意味では同じです。
ただ、これだけ情報社会となり、色々と伝え聞くこともあるとすれば、黙っておけない部分もあるわけです。
絶対安全地帯である(?)ブログを通して、意見や情報を発信することも可能です。
そうやって、もし、少しでも世の中が生きやすくなれば良いなと… 考えています。
だって、自分だけが良くなる(幸せになる)ことは無いはずだからです。
日本の社会を住みやすくするのは… 日本人です。
中国やアメリカが頑張って良くしてくれるのではありません。
もちろん、中国やアメリカを無視すれば良いというのでもありません。
それは、日本は世界の国のヒトツだからです。
自分が、世界の人々の中の一人であることと同じです。
例えば、アメリカをよくするのは、アメリカ人の仕事(努めや責任)でしょう。
外国人は、内政干渉にならないように気をつけながら…
遺憾だとか配慮を望むとか… 人道的な、そんな意思表示しか出来ないですよね。
なぜなら、自国をどうするかの決定権は、あくまでも、その国の国民にあるからです。
税金を払っているかどうかでなく、(収入なくても、子どもも高齢者も国民です!)
その国に帰属し、その国を(自分の都合の良いようにでなく)良くしたいと思っているかどうか…
結局は、自分自身が試されている気がしています。
誰が見ていなくとも、訴えられなくても、オテント様は見ていなさる。んですよ! ね!!
だから、ヒキコモリを考えるとき、
自分の帰属する殻の一番外枠との距離が社交性(外交)なのだと、思います。
内と外。その行き来なのかも知れません。
決まったルールを基にした生活って… (人は欲張りだから)ツマンナイ気がします。
だから、(変化を求めて)殻から抜け出るときが来るのだと… 思います。
はたして、私は、布団から抜け出て、外の世界へと飛び出していくわけです。
あ~、日本人で良かったぁ~♪
と、思いたいです!
今も、これからも。
コメント 0