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『ぐるりのこと』 [映画]

リリー・フランキーと木村多江さんが主演。観て来ました。
(すでに終了している映画館も多くて、慌てて観に行きました)

映画は、1993年からの約10年間が舞台となっています。
翔子(木村多江)と会社の同僚圭子(峯村リエ)が足ツボマッサージをしているシーンから始まります。
結婚式はあげないものの、カナオ(りりー・フランキー)との生活を話す翔子の笑顔がとても良いです。
足ツボの痛みと気持ちよさ、マッサージ師さんとの会話。
ちょっとキワドイ話も交えながらも、将来に対する期待と不安が入り混じった良いシーンです。
最後は、色々なことを経た夫婦の平安のようなシーンで終わります。
この最初と最後のシーンの間でぐるりのこと(周辺のこと)が描かれる映画です。

映画を観る前に、パンフレットを購入しました。
上映開始まで少し時間がありましたので、映画より先に拝見しました。

P1010956P1010959

パンフレット、とてもよく出来ています。
拝見するだけで、映画の雰囲気だとか、作成風景、出演者の思いなどが伝わる構成です。
映画を観る前でしたが、なんだか、パンフレットに魅入られ、(初めてのことです!)
思わず、(重要箇所に?)マーカーを入れてしまいました。
(勉強かよ! 一人、ノリツッコミ!)
少しだけ、箇条書きしたいと思います。
(お勉強かよ!? 再び、一人、ノリツッコミ!?)

○希望は人と人の間にある
○ふたりでいることのしあわせ
○精度の高いモノづくり
○理想の夫婦
○人の闇の深さ
○カナオと翔子を中心とした小宇宙
○悲劇も喜劇も隣り合わせ

どうですか?
なんだか、観たくなって来ませんか?
その他にもワクワクするような言葉が書いてあるので、ドキドキしました。
映画館は、お盆であることも影響してか、すごい人でした。
この映画に対する関心の高さ、期待度の表れです。
やっと、観れることが嬉しかったです。

P1010957P1010958

とても丁寧に作られ、製作者サイドの映画に対する愛着が伝わって来る映画でした。
以前観た、『だれも知らない』 を観賞したときと同じ感覚になりました。
(巣鴨子供置き去り事件を題材とした映画です)
監督、出演者の思い入れが伝わって来る映画です。
リリーさんのひょうひょうとした穏やかな演技。
木村多江さんの美しく凛としているがゆえの脆さ…

脇を固める芸達者な出演者たち。
賠償美津子、寺島進、安藤玉恵、柄本明、寺田農、八嶋智人、齋藤洋介、温水洋一、横山めぐみ…
申し分ない演技を披露してくれています。

不動産業を営む兄夫婦。
随分と危ない気がする賠償さん演じるお母さん。
靴の修理屋さんから法廷画家になるカナオ。
翔子とカナオの子どものこと。
報道関係を支える人々の悲哀。
本当に、パンフレットに書いてあるとおり。
良い作品だと思いました。






   [かわいい]   [かわいい]   [かわいい]




以下ネタバレあり。
以下では、辛口コメントが有りますので、
この映画のファンの方は読まない方が良いかもしれません。

※ 感動に水をさされたくない方は、どうか読まないで下さい。



観ているとき(中絶シーン以降)から気になってました。
中絶のこと。どうやって乗り越えていくのか…

嵐の夜のこと。
「私、子供ダメにしちゃった」
言葉では、それだけでしたね。(中絶なんて言わなかった!)
だから、おそらく、それは、カナオにとっては、一人目の(亡くなった)子どものことだろうと…
翔子の中では、告白したことのなってますが、カナオには中絶のこと分かってないです。
ことの重大さ、翔子の裏切り(!)が。伝わっていないです。
ですが、翔子の中では伝えた(!)つもりで、その分、肩の荷を降ろせたのだと思います。
そして、理解していなかった分、カナオは荷を背負わなくて済んだんです。(絶妙です)
子どもが出来て嬉しかったカナオの気持ち。
自分の(悲しい)気持ちが一番で、カナオの気持ちを受け止めてなかったのですよね。
それは、妊娠に向けての夫婦の営みへのシチュエーションでもそうだったのです。
(口紅とか前提にに拘るカナオと営みだけの翔子というシーンが伏線です)
だから、中絶のことも、きちんと向き合ってないです。

ただ、きちんと向き合うことが本当に必要なのかは… 別の問題なのだと思いました。
向き合えば、おそらく、ラストの穏やかなシーンにはならないと思います。
おそらく、カナオは翔子を許せないと思います。
見えないこと、見えるようにして、夫婦の関係まで壊してしまうより、
(見えていることだけで)互いに思いやり、互いに認め合い、傍にいる。ただ、傍にいる。
そのことに大切さ、難しさを映画で表現していたのだと思います。
(黙る翔子と激高する新人男性社員とのやりとりのシーンが伏線です)

翔子の母親がお父さんを裏切ったことと、それをずっと隠していたこととダブリます。
全てを曝け出すのは、とても覚悟のいることです。
とても平安ではいられないことです。
曝け出す者の覚悟だけでなく、曝け出される側にも覚悟が迫られるからです。
だからこそ、曝け出す必要のないことも有るのなのかもしれません。

翔子は、絵画や家庭菜園と向き合うことで癒されていった。
カナオは、翔子の傍らにいることで(法廷や職場でのストレスから)癒される。
きっと、そのことこそが大事なのでしょう。
だから、
人が、ともに居るということの幸せを、その風景を描いた良い映画なのだと思います。

   [ぴかぴか(新しい)]  [ぴかぴか(新しい)]   [ぴかぴか(新しい)]

さて、さて…
もっと、突っ込んだホンネ(今までの文もウソでないのですが)を書いてみましょう。

とても良い映画だと思うのですが、
監督さん自身は、自身としてのうつ体験を経て、この映画を作っています。
そのことは、パンフレット(の中のインタビュー記事)で書かれています。

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(パンフより引用)

イラク戦争で日本人の人質がバッシングされましたよね?
人質の人が帰ってこられた時に、成田空港で”自業自得”と書かれたプラカードを持ってニッと笑う女の人をTVで見て、日本人はいつからこうなったのかとショックと受けたんです。
9.11テロ以降の世界って、潜在化していた問題が一気に噴出してきています。
それって実はうつに似ていて、うつになると自分の中で解決済みだと思っていた問題が、子どもの頃のことにせよ家族のことにせよ、もう一回フレッシュな感情として蘇るんです。
そう思った時、プラカードを持ってヘラヘラ笑っていられる日本人を生み出す過程が、イラク戦争の前にあったはずだなと。
やっぱり、バブルで日本人は大きく変りました。
この映画は1993年に始まりますが、バブル崩壊後にひとつのターニングポイントがあった気がするんですね。
宮崎勤とは同い年ですが、ビデオテープがうず高く積まれた彼の部屋をニュースで見て、僕は自分の恥部が暴かれたような気がして恥ずかしかったんです。
バブルで日本人の価値観が変り、宮崎勤で日本の犯罪史が変り、その後阪神大震災もオウムの事件もあって、思いもしなかった犯罪が次々と起こったバブル崩壊から9.11までの10年間と、自分がうつになり、そこから復活するまでの出来事が重なり合う気がしたんです。

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>9.11テロ以降の世界って、潜在化していた問題が一気に噴出してきています。

と、書かれていますが、それまでにも色々と問題はあったのです。
戦後の教育も問題ですし、戦後の報道の有り方、価値観の変化も問題なんです。
結局は、問題があることが問題なのでなく、問題の処理の仕方に問題アリということなんですが…
そのことに気付かれていないことが、この映画が傑作にならない原因なんです。

映画の中で、ベストセラー作家を招いたサイン会のシーンがあります。
「本当のやさしさ」 を声高に叫ぶ呼び込み。そして、
「本当のやさしさに出会えました!」 と熱狂的なファンを登場させています。
ですが、「本当のやさしさ」  て、何なんでしょうか?
本当とウソの間って… 本当のウラがウソなのかも知れませんよ。
表裏一体というか、人というのは、本当だけでもウソだけでもないと… 考えられませんか?

箇条書きした言葉の中に、「理想の夫婦」 という言葉があります。
「理想の夫婦」 とは、どんな夫婦をいうのでしょうか?
カナオと翔子が理想の夫婦なのでしょうか?
映画を観て、
「理想の夫婦に出会えました!」 
と熱狂的なファンを生み出したとしたら…
先の、「本当のやさしさに出会えました!」 という、熱狂的なファンと同じなんです。
もしかしたら、見つけたと思いたいだけなのかも知れませんよ。

「本当のやさしさ」 も、「理想の夫婦」 も幻想(思い描いたもの)です。
そんなものは、レッテルを貼ったり、幻想を抱いたり、分かった気になることで安心を得るだけの目的のものです。
「本当のやさしさ」 も、「理想の夫婦」  もお金では買えないものです。
ですが、イメージはお金で買えるかもしれないのです。
それは、単なる価値観であり、状態に過ぎないからです。

翔子のしたこと。
カナオは本当には知らないまます。あの人生と向き合うことの苦手なカナオには、知ろうという気力を感じません。
むしろ、夫婦の間だからこそ、隠さねばならない隠し事もあるのかも知れません。
しかし、賠償美津子演じる翔子の母が隠し続けて来た裏切りと、翔子の犯した隠し続けなければならない裏切りは質の違うものです。
いくら、翔子が平常心を失ったゆえ(ウツ時)の行動であったとしても、許されることではありません。
そのことを共に乗り越えるのでなく、許しあうのでなく、(誤魔化して)理想の夫婦として祭り上げるとしたら、あまりに安易です。
この映画を傑作に出来なかったことは、そこに致命的な欠陥がある気がします。(夫婦の関係がウソだということです)

カナオのシャツの背中を握り締める翔子、逃げる蜘蛛。この二つにスポットライトをあてていました。
そのことにも結びつくのですが、モノゴトがとても断片的で安易です。
スポットライトの小さな丸に閉じ込めるには、小さすぎで軽すぎだと思います。
それは、カナオの飄々とした生き方にも通じています。
カナオは、飄々と逃げているだけです。
自殺をしない強さ。それは、自殺さえ出来ない弱さと裏表です。
カナオにとって、父親の自殺はトラウマとなっています。
それを克服できないまま大人になることで、翔子の全てを許そうとしているかのようです。
それは、翔子が自殺をしないため、(自殺によって)自分が傷つかないためとも見えるのです。

そのことが悪いというのではないのです。向き合う覚悟がないことが飄々とした生き方を選ぶのだということです。
翔子は、(一人目の子どもを失うことで)二人目の子どもと向き合うことが出来なかった。
だからといって、カナオに無断で中絶することは、絶対に許されることではありません。
カナオに中絶のことを伝え、乗り越えることで、(理想とかでなく)夫婦になれるのだと思います。
カナオと翔子は理想の夫婦を夢見る夫婦に思えてなりませんでした。
嵐の夜のぶつかりあい。あれぐらいのことで夫婦のワダカマリが解けるなら簡単です。
そんな安易なことはありません。
何度も狂いそうになってます。夫婦は、キレイゴトではないのです。
相手のイヤなところ、自分のイヤなトコロを直視するからこそ、他人に寛容になれるのです。
(エラソーでごめんなさい)

天井絵を描くことを依頼されるシーン。
「有名な画家さんいは興味ない。色々なことを乗り越えて来たあなただからこそ描いて欲しい」
と言われます。そして、翔子自身が、絵を描くことで癒されていく、家庭菜園をすることで癒されていく。
そのことには、異論ないのですが…
有名な画家さんだって、色々な苦労をされているはずですし、
翔子が、それほどの苦労をしたとは… 思えないのです。
翔子はカナオに二人目の子どもを無断で中絶したことを話していません。
カナオが、そのことを簡単に許せるとは… 私には思えません。
もし、許せるとしたら、それは、現実を見つめる(翔子を失う)ことが恐いゆえの逃げです。
乗り越えたのではないということです。心に澱のように溜まっていくはずです。

心と体のぶつかり合い、死んだ方が楽だと思えるほどの辛さ葛藤を共に乗り越えてこそ(フツウの)夫婦なのだと思います。
私には、「理想の夫婦」 の言葉が、「本当の優しさ」 と同じ欺瞞に思えてなりませんでした。

その欺瞞を描きたかったというなら別ですが、パンフからも映像からも… それは見えませんでした。
むしろ、どんなに反感を持たれる方が多いとしても、(ホンネで)ぶつかりあっている兄夫婦の方がずっと夫婦らしく思えました。

それから、シモネタ。トンカツ屋さんで味噌汁にツバを入れるシーン。
なんだか、低俗で、同じことを表現するしても… 別のやり方が有っただろうと…
単なるお笑いなら笑ってお終いなのですが、映画らしからぬ陳腐な表現に、残念な気持ちになりました。
何より、下品なのは… なんだかなぁ。
飲食業の方に失礼かと… そんなことをしている店があると考えたくない。
店を信用出来なくなるような映像は避けた方が良い気がしてならないです。

日本の映画を作られる方は、もっとしっかりとした覚悟を持って映画を作って欲しいと思います。
映画が大好きなんで、安易に納得するような映画は作って欲しくないと思いました。




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